布良崎神社
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歴史
創建
神武天皇の勅命で四国から天富命が天日鷲命の孫である由布津主命を率いて、肥沃な土地を求め、房総の地に来られた時に上陸した場所が布良の一角の駒ケ崎であったといわれる。駒ケ崎の東の海岸に聳える二峰のうち、海岸に近い山を男神山、他を女神山と称し、男神山に祖神天太玉命、女神山に御后天比理乃咩命を祀る。
天富命はさらに肥沃な土地を求め、布良本郷に転居し、「上の谷(かみのやつ)」に太玉命、「下の谷(しものやつ)」に、天忍日命の仮宮を建て、それぞれを上の宮、下の宮と称した。天富命は、ここを出発点として房総開拓を進めていった。
天富命が安房を去ったのち、里人が命の徳を忍んで社殿を造営したものが布良崎神社といわれている[1][2][3]。
概史
元々は布良の家なみの中にあったが、1703年(元禄16年)11月23日に大地震で起きた津波のため流失、1876年(明治9年)11月11日の布良川大火で焼失、1879年(明治12年)10月3日に台風のため倒壊など、災害が相次いだ[1][3]。
度重なる災害により遷座を決定。1880年(明治13年)6月に社地整備を起工し、1882年(明治15年)9月に竣工した。その後、社殿造営の計画を立て、1907年(明治40年)3月22日に普請を開始、1908年(明治41年)7月31日に落成した。現在[いつ?]の社殿はこれにあたる[3]。
1915年(大正4年)には御即位記念に外域の玉垣を作った。1930年(昭和5年)には神域を拡張した[3]。
2019年(令和元年)の令和元年房総半島台風(台風15号)の影響は大きく、拝殿は傾き、神輿蔵の倒壊や神輿2基が大破する大きな被害が出た[4]。これに伴い、布良崎神社がある布良地区の有志が神輿の修復委員会を立ち上げ、4000万円の寄付を募ることとした[4]。
