1952年から『S盤アワー』(文化放送)のディスクジョッキー(DJ)を長く務めたことで一躍有名に。よく文化放送のアナウンサーと誤解されがちだが、当時はアナウンサーではなく日本ビクター(現・JVCケンウッド)の音楽レコード事業部であるビクターレコード(現・ビクターエンタテインメント)の社員という立場だった[3]。元々は、同じビクターの歌手である宮城まり子がDJを務める予定であったものの、ビクター社内から難色の声が上がった為、番組が始まる3年前に入社した彼女を起用した[4]。
帆足も本来歌手志望で(吉田正門下だった)、歌手デビューが決まるまでの間の繋ぎとしてビクターの総務部で勤務していたところ、ビクターのディレクターで『S盤アワー』を企画した小藤武門の目に留まり「歌手かDJか」の二択を迫られ、この際はDJの道を選んだ[5]。ただ吉田は後年になって、このときに歌手デビューさせなかったことについて「惜しいことをした」と語ったという[5]。
番組の途中で日本ビクターを退職してフリーとなり、「S盤アワー」と同じ文化放送の「ミュージック・キャラヴァン」のDJも担当。
番組終了後はメキシコに渡り本格的にラテン歌手に転向。夫の三村とも「マリキータ&ジロー」というデュオを組んでおり[2]、同デュオ名義で『スペイン語会話』(NHK教育)にレギュラー出演していたこともある[6]。また日本ラテンアメリカ文化交流協会会長も務めた[2]。
2003年12月27日、肝不全のため71歳で死去[2]。