帯解寺
奈良市今市町にある寺院
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歴史

寺伝では、元は霊松庵といい空海の師である勤操によって開かれた巌渕千坊の一つであったという。長らく世継ぎに恵まれなかった文徳天皇后の染殿皇后(藤原明子)が当寺にて祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれたことから、天安2年(858年)春、文徳天皇の勅願により伽藍が建立され、勅命により帯解寺と名乗るようになったという。以来、安産・子授け祈願の寺として朝野を問わず篤い信仰を集めるようになった。
江戸時代には、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室・江が当寺で安産を祈願して竹千代(徳川家光)を出産している。続いて第3代将軍となった家光に世継ぎがなく、側室のお楽の方が当寺にて祈願したところ竹千代(徳川家綱)を安産した。その折種々の瑞祥があり、家光は瑞祥記を当寺に下賜して仏像仏具等を寄進した。寛文3年(1663年)には第4代将軍となった家綱より手水鉢の寄進があった。