常慶寺
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯34度59分39.6秒 東経137度00分34.2秒 / 北緯34.994333度 東経137.009500度座標: 北緯34度59分39.6秒 東経137度00分34.2秒 / 北緯34.994333度 東経137.009500度
宗派
高野山真言宗
本尊
厄除弘法大師像
| 常慶寺 | |
|---|---|
|
本堂や寺務所が入る建物 | |
| 所在地 | 愛知県刈谷市相生町3丁目21-1 |
| 位置 | 北緯34度59分39.6秒 東経137度00分34.2秒 / 北緯34.994333度 東経137.009500度座標: 北緯34度59分39.6秒 東経137度00分34.2秒 / 北緯34.994333度 東経137.009500度 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 本尊 | 厄除弘法大師像 |
| 創建年 | 1913年(大正2年)10月 |
近代
江戸時代におけるこの地は碧海郡刈谷村字常慶であり、寛永13年(1636年)の検地帳には常慶荒田が見られる[1]。かつてこの地には寺があり、常慶という僧がいたとされる[1]。
1913年(大正2年)10月には現在地に常慶寺が建立され、その後には弁財天堂も建立された[1]。1917年(大正6年)には真言宗の拠点である高野山にある熊谷寺の出張所となり、高野山第4教会西三支部とされた[1]。1927年(昭和2年)には三河新四国八十八ヶ所霊場(旧三河新四国)が再興され、常慶寺は第55番札所となった[1]。1932年(昭和7年)頃に発行された『愛知県碧海郡刈谷町全図』には熊谷寺として描かれている[1]。
現代
1960年(昭和35年)刊行の『刈谷市誌』には寺院ではなく仏堂の欄に熊谷寺が記されている[2]。1964年(昭和39年)には現在の三河新四国が発足したが、この際に常慶寺は札所に選ばれていない[1]。
1993年(平成5年)刊行の『刈谷市史 第3巻 本文 近代』における寺院一覧に常慶寺は掲載されていない[3]。同年3月15日に2世本多恭恩和尚が死去すると、常慶寺は無住となって一時的に荒廃した[1]。やがて高野山の宿坊である赤松院の管理となり、高野山から住職が赴任した[1]。1997年(平成9年)、境内に花正によって斎場のさくら斎館が開業した[1]。
