平井丈雅
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学生時代とキャリア開始
東京都世田谷区出身。早稲田実業学校、早稲田大学を卒業[2]。大学時代はシーズンスポーツサークル「早稲田オールラウンド」に所属し、学生企業「ビージェイ」の設立メンバーとして活躍した[2]。
在学中、パーティーイベント団体「KIAI PROJECT」を設立。関東最大規模のイベント団体として活動し、その活躍ぶりはフジテレビ報道番組でも取り上げられた[2]。
その後、大手広告会社I&S BBDOに入社。花王、明治安田生命、スズキなどの広告を担当し、芸能業界では徳永英明、観月ありさ、米倉京子などの広告起用も手がけた[2]。
プロレス業界との関わり
1989年6月、大学卒業後に「全国学生猪木決起集会」を主催[2]。この活動が評価され、アントニオ猪木から「スポーツ平和党」の設立に参画し、代表幹事の一人に就任した[2]。
これを機に、元新日本プロレス専務取締役営業本部長で「過激な仕掛け人」の異名を持つ新間寿と懇意の関係を築いた[2]。
2005年、初代タイガーマスク復活興行のチケット販売を請負い、アントニオ猪木を通じて関係があった佐山サトルとの関係が深まり、興行の企画・運営に携わるようになった[2]。
リアルジャパンプロレス・ストロングスタイルプロレス
2005年3月11日、佐山サトルが「ストロングスタイルの復興」を掲げてリアルジャパンプロレスを設立。平井は設立当初から運営に深く関与し、2005年6月9日の旗揚げ戦以降、代表として団体運営を担う[1][4]。
2019年3月15日、団体名称をストロングスタイルプロレスに改称[4]。新間寿が会長として参画し、平井は代表として興行の企画・運営全般を担当した[4]。
2025年4月21日、新間寿が90歳で逝去。平井は「米粒ほどのかけらでも受け継がせていただきたい」と新間の仕掛け人魂の継承を誓った[5][6]。
興行プロデュース
平井は「過激な仕掛け人」新間寿の影響を受け、独自の興行プロデュース能力を発揮している。2025年8月、世界最大のプロレス団体WWEがラスベガスで開催した「レッスルマニア41」を視察し、最新の興行技術を研究した[5]。
2025年2月、大仁田厚が嘆願書を持参して参戦を申し入れた際、平井は警戒しながらも対応し、後に大仁田の参戦を実現させるなど、柔軟な運営手腕を見せている[7]。
2024年10月、レジェンド王者・村上和成が作った限定Tシャツの売れ行き好調に感動し、「直視できません」とコメントするなど、選手の活動を積極的に支援している[8]。