平井毓太郎
日本の小児科医 (1865-1945)
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プロフィール
人物
- ベルツの弟子で、代診を命じられるほど信頼を置かれた。
- 健康のため、早朝と午後の散歩を日課とした。一日2里(8キロ)は歩き、常に歩数計を身につけていた。
- 数十年にわたって一人暮らしだったが、夏にも袴をつけるなど、厳格な暮らしぶりを通した。
- 英独仏語に通じ、海外の医学雑誌の抄録を日々欠かさなかった。その成果は、月に一度の小児科医への講義に反映された。数年前に抄録した内容を思い出し、わざわざ屋根裏部屋にノートをとりに行く平井の姿を、参加者のひとり松田道雄はエッセイにとどめている。
- 東大医学部の医学生時代に同期だった伊藤隼三と親交が深く,卒後はそれぞれ内科のベルツ,外科のスクリバに師事した.後に二人とも京都帝国大学の教授として再会.平井は初代小児科学講座教授,伊藤は初代外科学第二講座教授として活躍した.