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平佐蕉雨

明治期から大正期にかけての華族 From Wikipedia, the free encyclopedia

平佐 蕉雨(ひらさ しょうう、1829年11月2日〈文政12年10月6日〉 - 1922年〈大正11年〉12月21日[1])は、明治期から大正期にかけての華族。位階・爵位は従五位男爵。陸軍中将で華族である平佐良蔵の父である。

経歴

1829年11月2日(文政2年10月6日)、大森儀右衛門の次男として長門国(現在の山口県)にて生まれる[2]。

1912年(明治45年)7月5日、長男・良蔵が死去し、同11月11日に男爵を襲爵する[3]。しかし、1914年(大正3年)1月10日に孫で養子の嘉彦に家督と爵位を譲る[4]。

1918年(大正7年)1月11日には数え年90歳を迎えたことから、恩賜として銀杯と酒肴料を賜った[5]。

1922年(大正11年)12月21日、93歳で死去した。

栄典

家族

  • 父:大森儀右衛門
  • 母:不詳
  • 妻:雪子[7]
    • 長男:良蔵(1851 - 1912) - 陸軍中将。日露戦争に従軍。
    • 次男:泰弼(1867 - ?) - 子に嘉彦。
    • 四男:眷弼(1870 - ?) - 甥・嘉彦の跡を継ぐ。妻は河上徹太郎の叔母・コトヨ。子に静子。養子に周三(静子の夫)。
  • 養子
    • 男子:井上惺三郎(1907 - ?) - 大塚武松の三男で、平佐周三の実の甥。井上光の長男・太郎の跡を継ぐ。
    • 男子:嘉彦(1903 - ?) - 次男・泰弼の長男。養子に眷弼。1930年に隠居。

脚注

関連項目

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