平和記念東京博覧会
From Wikipedia, the free encyclopedia

主催は東京府。第一次世界大戦終結後の平和を記念し、日本産業の発展に資するため開催された。会期は1922年3月10日から7月31日まで、来場者は約1100万人と空前の人出になった。
上野公園の第1会場には2階建ての平和館、製作工業館、染織館、化学工業館、衛生館、美術館、食料水産館、農業館、電氣館などがセセッション思潮のデザインで建ち並んだ。第2会場には平和搭、電氣工業館、航空交通館、外国本館、動力機械館、林業鉱業館が建ち、第1、第2会場の建物総面積は5万平方メートル余に及んだ。このほか外国から朝鮮、台湾、樺太、南洋統治などの出品展示があり、出品点数141.016点に達した[1]。
展示施設は伊東忠太、佐野利器が顧問となり、東京府技師の小倉強らが設計に当たった。新進の建築家堀口捨己、滝沢真弓、蔵田周忠らが起用され、堀口による第二会場池塔、機械動力館などの表現主義的な、分離派式の施設が目を引いた。
呼び物となった「文化村」では、あめりか屋などによる中流階層向けの住宅14棟が展示された。ここから文化住宅という言葉が広まったと言われる[誰によって?][注釈 1]
作品は藤島「残雪」、柏亭「外套を着たる夫人」、内藤伸「六道将軍」など。
