平忠頼 平安時代中期の武将。平良文の三男。武蔵介、陸奥介 From Wikipedia, the free encyclopedia 平 忠頼(たいら の ただより、旧字体: 平 忠賴[2])は、平安時代中期の武将。平良文の子。名は経明、恒明とも。父と同じく村岡を号とし村岡次郎と称した[2]。官位は武蔵介。平将門とは従兄弟にあたる。 この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。 平 忠頼 平 忠賴 時代 平安時代中期生誕 延長8年6月18日(930年7月16日)?死没 寛仁2年12月17日(1019年1月25日)[1]?別名 経明、恒明、村岡次郎、武蔵介忠頼概要 凡例平 忠頼, 時代 ... 凡例平 忠頼時代 平安時代中期生誕 延長8年6月18日(930年7月16日)?死没 寛仁2年12月17日(1019年1月25日)[1]?別名 経明、恒明、村岡次郎、武蔵介忠頼官位 武蔵介氏族 桓武平氏良文流父母 父:平良文、母:大野茂吉の娘兄弟 忠輔、忠頼、忠光妻 正室:春姫(平将門の娘)子 忠常、将恒、頼尊テンプレートを表示閉じる 略歴 忠頼は、平繁盛が延暦寺に金泥大般若 経600巻を書写して奉納しようとした際に、かの仇敵を駆逐するためという理由から兄弟の忠光と共にこれを妨害した。平将門の乱を鎮圧した平繁盛を仇敵と呼んでいたことから、忠頼の父である良文は平将門と親しかったものと思われる[3]。 寛仁2年12月17日に90歳で死去したとされる。 系譜 父:平良文 母:大野茂吉の娘 正室:春姫 - 平将門の次女 男子:平忠常 男子:平将恒 生母不明 男子:頼尊 略系図 『尊卑分脈』 ○出典:『尊卑分脈』[4] 桓武天皇 葛原親王 高見王 高望王 平国香平良将平良文 平将門平忠輔平宗平(中村庄司)平忠頼(村岡次郎)平義澄平忠光平忠道 平将桓(武蔵権守)平忠桓 / 忠常(武蔵押領使)(上総介) 脚注 [1]『千葉大系図』による。 [2]尊卑分脈 (1904), p. 11(第十六巻 平氏). [3]将門に敵対した繁盛は、子の忠頼から「仇敵」とよばれていることから、良文は将門と親しかったものと推測されている。……『日本古代中世人名辞典』、「平良文」の項(596頁) [4]尊卑分脈 (1904), pp. 1-12(第十六巻 平氏). 参考文献 『尊卑分脈』 十一、吉川弘文館〈故実叢書第三輯第十六回〉、1904年12月21日。 NDLJP:771961 関連項目 坂東八平氏この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks