平田昭吾
From Wikipedia, the free encyclopedia
1956年、福島県立会津工業高等学校時代に笹川ひろしらと「会津漫画研究会」を設立する[2]。
1958年に高校卒業後、手塚治虫に師事する[3]。内弟子となり、専属アシスタント第2号となる。貸本漫画にてデビュー。1960年、「平田ポン」名義で『こだまブック』付録に作品が掲載される。[要出典]また、手塚の紹介でアニメ作家の政岡憲三の門下生となる[4]。
1962年、日活撮影所に入社し、研究室に勤務して特撮技術の開発を手がける[1]。『零戦黒雲一家』(舛田利雄監督、1962年)[5]や『太平洋ひとりぼっち』(市川崑監督、1963年)などの特撮に関わる。[要出典]
1964年、井上智と智プロを設立。漫画『魔神バンダー』などの原作を手がける。1965年には漫画『マグマ大使』の一部を手塚の要請で智プロで制作する。[要出典]
1968年に日活撮影所研究室を退職。手塚の誘いで智プロスタッフは全員、手塚プロダクションに入社した[6]。平田は1970年まで、手塚のマネージャーを務める[1]。
1971年、アニメ絵本『アンデルセンどうわ』(ポプラ社、全10巻)をプロデュースして独立する[1]。1972年には特撮テレビ番組『サンダーマスク』を企画した。
2011年9月、自宅(二階建て)が全焼する被害に見舞われる[7]。