平良文館
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平良文館は、旧小見川南小学校の南西の台地上に位置し、阿玉台城とも呼ばれている[2]。近くには、国指定史跡の阿玉台貝塚・良文貝塚がある。
『東荘誌』によれば、平良文が相模国村岡(神奈川県藤沢市村岡東)から大友城に移り、さらに阿玉台に館をつくったので、ここが平良文館になったとある。地元の住民も古くから平良文館と呼んでいたというが、確証はない。
1975年に、旧小見川町の教育委員会の調査団によって発掘調査が行われ、その結果が発掘調査報告書にまとめられた。それによると、平良文の館跡として断定はできないが、可能性はあるとしている。発掘された遺構・遺物を見ると、平安時代の住居跡からは貯蔵穴が検出され、中世遺物が多数発見されている。さらに、鎌倉時代から中世末にかけて用いられたと思われる陶片・古銭・炭化米などによって、中世までこの館が使用されていたことが裏付けられた[3]。
