幸フク
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フクは大分県大分郡桃園村(のち大分市)に寺司茂四郎の四女として生まれ、2歳の時に同村の幸重春の養子となる。幼少より機織りや糸紡ぎに勤しみ、17歳の頃には商才を発揮し、自ら行商に赴いて大きな利益を収めたと伝えられる。その後、幸荒太郎に嫁いで大分市奥田に移り住み、夫の死後は社会事業に力を注いだ[1]。
大正14年(1925年)、皇孫殿下の降誕を記念して大分市へ金1万円を寄付し、南大分尋常小学校に付設する幼稚園(南大分幼稚園)の設立を実現させた。これは当時、大分市における初の大規模な個人寄付による公共事業とされ、三浦数平市長も「意表あるもの」として高く評価した[2]。この功績により、大正15年(1926年)11月12日、紺綬褒章を下賜された[1]。
さらに、昭和2年(1927年)には、大分市永興に私立城南女学校(現・福徳学院高等学校)が設立される際、資金6万円と土地161坪を寄贈し、女子教育の振興に尽力した[3]。
昭和8年(1933年)には、自ら栽培した紫蘇を用いて大量の梅干しを漬け、派遣先の満州で働く日本軍将兵に贈った。この活動は大阪毎日新聞社の知るところとなり、翌昭和9年(1934年)に愛国婦人会とともに表彰された全国82名の女性の一人に選ばれている[4]。また第6師団に軍馬を献納して荒木貞夫陸将よりの感謝状をもらっている[1]。 地域社会や国家的事業に幅広く寄与し、南大分幼稚園の敷地には、昭和25年(1950年)に彼女の功績を記念する碑が建てられている[2]。