アリストテレスは、われわれが求める「善きもの」には大別すると三種あるととなえる。
そのひとつが「有用さ」である。すなわち、これは他のものを求める手段として役立つよさである。
それに対し、それ自体が目的となるような「善きもの」としては「快楽」がある。しかし、快楽は、アリストテレスによれば、それ自身としても望ましいが、ときとして他のものの手段となるもの[1]である。だから快楽は、生活を幸福にするためのものであっても、もっとも価値が高いものとはいえない。
最後に、もっとも価値の高い善きものとしての「最高善」がある。これこそが「幸福」(エウダイモニア)であり、人間を人間たらしめるもの、至上の価値である。それは、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現する。アリストテレスは、理性の活動とは、人間としての徳(アレテー)の追求であり、テオリア的態度から生まれてくるものであるとした。