広恵寺城
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美濃国恵那郡の地頭で岩村城を本拠地とする遠山氏の一族である遠山景利が、元弘・建武年間(1334年~1336年)に木曽川以北を治めるため城を築いた[2]。
この他に大永年間(1521~1527年)[3]という説や、天文年間(1532~1554年)[4]という説もあり、200年の違いがある。
廣恵寺址と呼ばれている観音堂の北の城山にあった。この地は、北は飛騨口、西は付知川を境として美濃口、南は木曽川を渡って岩村城との連絡が保たれていた。
感応元年(1350年)10月17日に遠山景信が開基し夢窓疎石の弟子枯木紹栄が福岡遠山氏の菩提寺として廣恵寺を開山し入寺したと伝わる[5]。
正平(1360年)美濃守護の土岐頼康が仁木義長と共に、東池田氏を攻めた際に広恵寺城主の遠山新藤太景信も従ったが、正平16年(1361年)12月8日に京都で仁木義長と戦った際に土岐氏の長山頼基に討たれた[6]。
