広済寺 (川越市)

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所在地 埼玉県川越市喜多町5-1
位置 北緯35度55分37秒 東経139度28分57秒 / 北緯35.9269765度 東経139.4824013度 / 35.9269765; 139.4824013座標: 北緯35度55分37秒 東経139度28分57秒 / 北緯35.9269765度 東経139.4824013度 / 35.9269765; 139.4824013
山号 青鷹山
院号 慈願院
広済寺
所在地 埼玉県川越市喜多町5-1
位置 北緯35度55分37秒 東経139度28分57秒 / 北緯35.9269765度 東経139.4824013度 / 35.9269765; 139.4824013座標: 北緯35度55分37秒 東経139度28分57秒 / 北緯35.9269765度 東経139.4824013度 / 35.9269765; 139.4824013
山号 青鷹山
院号 慈願院
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来坐像[1]
創建年 1548年
開山 広庵芸長
中興 本田親氏
正式名 青鷹山慈願院廣濟寺
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広済寺(こうさいじ)は、埼玉県川越市喜多町にある曹洞宗の寺院[2]山号は青鷹山、院号は慈願院[3]

天文17年(1548年8月20日河越城主であった大道寺政繁によって建立された[4]。開山は広庵芸長。その後、江戸時代になって本田右近親氏によって再興されたという[5]

1651年に起きた慶安の変では、対応に当たった松平信綱川越藩主でもあったことから、連座した者の一部が広済寺境内で切腹させられた[6]

本堂は享保14年(1729年)の火災で焼失し[7]、その後默元によって再建された。默元は本堂の軒が高すぎて、大風などによる修繕が必要になったときに不都合があると考え、自ら柱を切って軒を下げたため、他の寺に比べて軒が2尺(約60センチメートル)低くなったという。[4]

明治維新とともに学制が発布されたことを受け、1873年明治6年)に禅堂を利用して北学校が設置され、当時の喜多町と高沢町の児童を受け入れた[8]1976年(明治9年)の記録では男子95名、女子92名が在籍していた[9]。また1879年(明治12年)4月1日には、寺の一部が入間郡高麗郡の郡役所庁舎となった[10]

境内

金毘羅堂

境内には鎮守社として金毘羅神社がある。安永9年(1780年)に鴫町(現・仲町)の若林宇右衛門らによって勧請された。その後文化13年(1816年)に一度焼失し、現存する本殿・幣殿・拝殿・楽の間は文化15年(1818年)から嘉永年間にかけて順次再建されたものとされる。什物を含め、川越市の有形文化財に指定されている[11]

本寺・末寺

多摩郡根ヶ布村(現・東京都青梅市)の天寧寺を本寺としていた[12]。また、川越市幸町にある長喜院が末寺であった[13]

脚注

参考文献

外部リンク

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