広瀬猛
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山梨県東山梨郡七里村に父広瀬久光の六男として生まれる。1901年(明治34年)11月、陸軍士官学校(13期)を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官され歩兵第34連隊付。日露戦争に従軍。明治38年(1905年)6月に歩兵第34連隊中隊長、明治39年(1906年)11月に第17旅団副官、明治41年(1908年)4月に大尉に昇進、1910年(明治43年)11月、陸軍大学校(22期)を卒業し、参謀本部外国戦史課に配属された。
1920年(大正9年)8月、陸大教官に就任。1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進。1924年(大正13年)8月、歩兵第55連隊長となる。1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵科に転じ航空兵大佐となり、飛行第4連隊長に就任。1927年(昭和2年)7月、下志津陸軍飛行学校教育部長に転じ、さらに陸大教官を務めた。
1928年(昭和3年)8月、陸軍少将に進級。1929年(昭和4年)8月、参謀本部第4部長となる。1932年(昭和7年)4月、所沢陸軍飛行学校長に転じ、同年12月、陸軍中将に進んだ。1933年(昭和8年)3月、陸大校長に就任したが、昭和9年(1934年)7月に現職で死去した。墓所は多磨霊園。