広瀬美代子
日本の元女子バレーボール選手
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来歴
兵庫県神戸市垂水区出身。母親がママさんバレーをしていた影響で中学1年よりバレーボールを始めた。兵庫県立舞子高等学校を経て、1977年に日本リーグのユニチカ(当時)に入社した[1]。
1979年に全日本入りをする。1981年ワールドカップでは銀メダル獲得に大きく貢献し、広瀬もレシーブ賞獲得およびベスト6に選出された[1]。1984年日立の選手が中心のロサンゼルス五輪代表にユニチカから唯一出場した。準決勝の中国戦では郎平に対するピンチレシーバーとして起用されたが「鉄のハンマー」と呼ばれた郎平の強烈なスパイクを止めることができず、チームは敗れたものの銅メダルを獲得した[1]。1985年に現役を引退し、広瀬は日本を代表する名レシーバーで拾ってつなぐユニチカバレーの象徴ともいえる存在であった[2]。
人物・エピソード
新設された舞子高校の第一期生で当時体育館がなかったため、屋外にコートを造った[1]。バレー部監督(当時)は、「すかっとした明るい性格」と評している。信条は「前進」だと語っている。
「舞子高校のエースをマークしろ」と言われ、県大会ではベスト4進出の実績をもっている。