広部清兵衛
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江戸日本橋本銀町に先代清兵衛の長男として生まれる[8][9]。生家は質商を営む[2][6][9]。藤樹私塾に入り、読書、算数を学ぶ[6]。15歳の頃、元浜町の質商・尾張屋事峰島家の店員となる[9]。1883年、家督相続と共に前名・清太郎を改める[5][12][17]。18歳に至り主家を辞して帰宅する[9]。
質商を主業とする[9]。1887年、東京市日本橋区本町に広部銀行を創立する[2][6][9][注 1]。銀行業を営む[20]。広部銀行は1927年に休業し[21]、1929年に廃業した。
広部拓殖代表社員[5]、尾張屋信託、尾張屋銀行、忍商業銀行、東京土地各取締役[6][17][18]、忍商業銀行監査役[16]などをつとめた。1933年10月19日に病没した[7]。