庄子春男 (サッカー選手)
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人物
仙台市立西多賀中学校、宮城県工業高等学校、東北学院大学を経て、1980年に富士通に入社。富士通サッカー部で活躍した。引退後は富士通の工場で働き、人事で採用面接も受け持ち、社員考課にも携わった[1]。
10年間のサラリーマン生活を経た後に、クラブ創設2年前の1995年12月から川崎フロンターレに携わる。最初は運営・広報・チケットなどの業務を行い、強化部長、強化本部長を歴任。選手獲得など現在に至るまでのフロンターレを作り上げた[2]。アマチュアのJFLから出発した当時は庄子を含めてスタッフが3人しかおらず、広報、試合運営などの多忙な業務を分担。「Jリーグの優勝は目標だったけれど、夢みたいな感じだった」と振り返る。
フロンターレを強豪に押し上げた功労者の一人であり、1993年のJリーグ発足時の10チーム(オリジナル10)を除く「後発クラブ」では初のリーグ連覇を達成。
2021年1月10日付で強化本部長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。2023年3月31日で退任した[3][4]。
来歴
エピソード
第一印象を大事にする
貫くのは徹底した現場主義
- 同じ目線になるために、練習は選手やスタッフと同じ練習着に着替え、スパイク姿でピッチに立つのが信条[6]。
お前がいなくなるときは、俺も一緒だ
戦力は厚過ぎず、薄過ぎず
- 選手や監督との距離感も「遠過ぎず、近過ぎず」が信条。
その他