今川氏重臣の庵原氏の一族であったが、今川氏滅亡後は甲斐武田氏に仕えた。武田氏滅亡後は羽柴秀吉家臣の戸田勝隆に仕えるが、津田信成の仲介で井伊直政の家臣(1500石)となる。天正19年(西暦1591年)の九戸の乱の鎮圧に参陣し鉄砲で撃たれ負傷している。しかし、直政と諍いを起こして出奔、各地を流浪し、佐々成政配下となっていた水野勝成(この時の知行1000石)に200石で召し抱えられたという。成政の死後は、勝成(もしくは松平忠吉)の仲介で再び直政家臣(2000石)として帰参した。大坂夏の陣の若江の戦いでは敵将木村重成を討ち取る功績をあげ、4000石となった。
子孫は彦根藩の次席家老(5000石)として続いた。