廣瀬貞雄
日本の精神科医 (1918-2007)
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経歴
1918年大阪生まれ。
産婦人科医の養子になる。中学時代から歌舞伎を愛し、演劇論をやるために美学者を志したが、父の反対で断念。
その後も歌舞伎を愛好し続け、16代目市村羽左衛門宅を訪ねたりしていた。
1946年に派遣された松沢病院では、市村から教わった「切られ与三郎」の所作を披露したことから、「与三さん」との異名をとった。
1951年に学会に発表され、1971年に石川清に告発された、いわゆる「臺実験」で実際に執刀したのは、臺弘ではなく、廣瀬であった。
1955年 東京大学医学博士。論文の題は「ロボトミー後の人格像について 」[5]。
1994年秋、勲四等瑞宝章を受章
以上、『精神を切る技術』(橳島次郎)より。