弁財天堂 From Wikipedia, the free encyclopedia 弁財天堂(べざいてんどう;沖縄語:びでーてぃんどー)は沖縄県那覇市首里当蔵町一丁目に所在する仏教建築である。首里城北側の城壁外に位置する円鑑池の中島に建つ小堂で、かつては経蔵として造営され、のちに弁財天女を本尊とする堂宇となった。 弁財天堂は、円覚寺の西側、円鑑池の中島に位置する。首里古地図には、池の中島に東向きに建つ堂宇と「弁財天堂」の表記、ならびに北側から架けられた橋(天女橋)が描かれている。円鑑池は1502年に龍潭に接する地に掘削された人工池で、首里城の淡水供給・排水システムの一部を構成し、隣接する円覚寺とともに仏教建築群を形成していた。[1] 堂宇は塗装を施さない木材を用い、装飾を抑えた簡素な構造を持つ。幾何学的な構成と周囲の景観との調和は、琉球建築の特徴の一つとされる。 歴史 1467年(尚徳王7年)、琉球国には朝鮮国王世祖より方冊蔵経(高麗版大蔵経)が贈られた。これを収蔵するため、1502年(尚真王26年)に円鑑池が造成され、池中に中島を築いて経蔵が造営されたとされる。 1609年(万暦37年)、薩摩藩島津氏による琉球侵攻の際、堂宇は倒壊し、方冊蔵経も散逸した。その後、堂跡は空地となり、荒廃した状態が続いた。 1621年(天啓元年)、尚豊王の命により、円覚寺住持の恩叔が堂を再建し、円覚寺方丈に安置されていた弁財天女像を本尊として祀り、「弁財天女堂」と称した。[2] 1681年(尚貞王13年)には、国王が初めて参詣し、以後、正月・五月・九月には行幸して国土安泰を祈願する例となった。 1686年(康熙25年)には本尊像が損壊したため、円覚寺の住僧説三が日本より新たな弁財天女像を請来した。さらに1688年(康熙27年)には堂の改修が行われ、翌年には住僧蘭田によって池中に蓮が植えられた。[2] 弁財天堂は沖縄戦により壊滅的な被害を受けたが、戦後の昭和44年(1969年)に復元・修復が行われた。 脚注 ↑ “弁財天堂・円鑑池”. 首里城公園 Official Site. 2025年12月31日閲覧。 1 2 『琉球国由来記』1713年。 関連項目 首里城 天女橋 Related Articles