式守勘太夫 (7代)
大相撲の行司 (1924-2002)
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人物
評価
幕内格までは順調に昇進したものの、1972年1月場所に実施された行司抜擢制度において、幕内格3番手であった勘太夫は8代式守錦太夫、14代木村庄太郎の二人に抜かれ(錦太夫は三役格昇進)幕内格4番手に下げられ、幕内格筆頭で迎えた1985年1月場所では6代木村庄二郎が勘太夫を抜いて三役格に昇進している。雑誌などの文献によると、木村筆之助とともに力量が劣ると見られていて、22代木村庄之助と24代木村庄之助からも名指しで「まずいねえ」と言われている[1]。
実に27年間も幕内格のまま据え置かれ、1987年10月の2代式守伊三郎の死去に伴い、翌1988年1月場所でようやく三役格に昇格した。長年の苦労が報われた形となった。停年退職直前時点での順席は、三役格の3番手で、この時点での現役行司全体では5番手であった。
掛け声
- 「時間です…ったなし…」「はあーけよーのこおった、のこーたー、のこーたー、のこーたー…」(声量は全体に小さ目)
エピソード
- 1987年10月に三役格の2代式守伊三郎が死去。同年11月場所では4横綱4大関の豪華布陣となり、三役格が14代庄太郎と6代庄二郎の2人しかいなかったこともあり幕内格のままで大関の取組を裁いた(その日の大関最初の一番、6日目東大関小錦-東前頭2枚目板井戦[注 1]など)。彼が三役格に昇格したのは翌1988年1月であるが、場所前に横綱双羽黒が廃業。3横綱4大関の布陣となったため、三役格では大関の取組を裁くことなく停年を迎えた。
- 高見山(前頭4枚目)が初優勝を決めた一番を裁いたのは彼である(1972年7月場所千秋楽、同7枚目旭國戦)。
- 物言いがついて、勝負審判の説明が始まる前に勝ち力士に軍配を上げてしまったこともある。(昭和末期~平成初期のいずれかの場所)