弓削耳高

From Wikipedia, the free encyclopedia

弓削 耳高(ゆげ の みみたか、生没年不詳)は、奈良時代後期の官人のち宿禰位階従五位下

称徳朝天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱後の叙位で従五位下に叙せられる。その後、神護景雲4年(770年)耳高を含む一族の38人が連から宿禰に改姓するが、「未だ歳月を経ずして、皆、本の姓に復す」と記されており、ほどなくして「連」姓に戻されたとみられる[1]。これは、道鏡の失脚と大いに関係があるものと見られるが[2]宝亀6年(775年)に、かつて弓削宿禰を弓削御清朝臣に、弓削連を弓削宿禰とした改姓について、いずれも本姓に戻されており[3]、この時に耳高も連姓に戻されたか[2]

官歴

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI