弘前師管区部隊
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師管区は1945年4月に師管を改称して設けられ、師管区部隊は従来の留守師団を転換して編成された。師管区部隊は、留守師団を構成した司令部・補充隊のほか、管区内の様々な非戦闘部隊・官衙もまとめられ、全体としてはかなり雑多な集まりである。弘前師管区では、留守第57師団司令部が弘前師管区司令部に改称した[2]。4月1日に移行する予定で[2]、司令官以下の人事も1日付で発令されたが[3]、編成は4月10日になった[4]。
定員約9千人の補充隊は兵士を教育・訓練し、その兵士を在来の部隊や新編成の部隊に送りこむ組織である。師管区司令部は第8師団など10個師団・1個旅団の司令部への補充担任となり、各種補充隊は歩兵団の司令部と多数の戦闘部隊、野戦病院など約300の部隊の補充担任となった[5]。司令部と補充隊は弘前に集中しており、他には歩兵第2補充隊が秋田に、工兵補充隊が盛岡にあるだけだった[4]。
陸軍病院では、弘前陸軍病院、秋田陸軍病院、盛岡陸軍病院が師管区部隊の一部になり、青森陸軍病院が東北軍管区司令部の直轄であった[6]。終戦時には弘前、青森、秋田の陸軍病院が師管区部隊に属し、東北軍管区直属は盛岡陸軍病院となっていた[7]。