生前に未出版だった遺作のヴァイオリン・ソナタ(1897年)から数えると、ラヴェル2作目の室内楽である。しばしば録音や演奏で組み合わされることの多いドビュッシーの「弦楽四重奏曲 ト短調」作品10(1893年完成、1894年発表)からはちょうど10年後の作品であり、先輩のその作品からラヴェルは啓発を受けていた。
ドビュッシーはラヴェルのこの作品に熱狂的な賛辞を送って、ラヴェルに終楽章を改訂せぬように説得し、次のように進言した。
「音楽の神々の名とわが名にかけて、あなたの四重奏曲を一音符たりともいじってはいけません。」
しかしながらラヴェルは、出版にあたって作品全体を改訂して、より構築感が高まるようにした。
弦楽四重奏曲はこの時代には難しいとされたジャンルであり、作曲家が成熟期を迎えるまでにこれを手懸けることは、まず滅多にないほどである。だが、当時まだ27歳のラヴェルはその作曲に挑んで、この楽種の傑作を示したのであった。