10代で柔道を始めたため、講道館で三船久蔵と徳三宝を師匠として仕えたことがある。また、同じく柔道の達人である政治家の辛道煥とは日本留学中、学校こそ異なるが同じ下宿室に住んでいた仲である[5]。
第二次世界大戦中は故郷の警察が書いた「父親の危篤を知らせる手紙」に偽った赤紙により蘇州に本部があった中支派遣軍の日本軍第60師団に学徒兵として従軍した[1][5]。現地では国府軍が庶民の家に強盗を働く一方、八路軍は庶民の財産を侵害しないことを目撃したため、自然と民心が毛沢東の方に傾き、蒋介石は台湾に追い出されたというふうに言った[5]。
また、蒋介石が台湾で行った腐敗の取締を高く評価している。『月刊朝鮮』によるインタビューでは、台湾へ渡った蒋介石は国軍の不正腐敗を調査させたら、その中心的な人物は次男(蔣緯国)の妻だと分かった。そのため、蒋はその女性を食事会に誘い出し、「国が生きるために君が死ななければならない」と言い、拳銃1丁が入った箱をプレゼントした。その後、次男の妻はその拳銃で自決し、台湾の官吏の不正が減り、綱紀が良くなったという逸話を紹介した[5]。