天津の北洋法政専門学校法律専科を卒業。黒河道尹公署財政科長、黒河道立師範学校校長、山東省会警察庁行政科長、浙江省公署秘書、山東省長公署秘書、内務部秘書などを経て、1924年(民国13年)当時は濱江県知事の地位に在った[2]。
1932年(大同元年)に満州国が成立すると、張書翰は吉林省公署参事官となる。同省公署では1934年(康徳元年)に教育庁長、1936年(康徳3年)に民政庁長を歴任する。1937年(康徳4年)に満州国中央へ移り、内務監督署長となった。1939年(康徳6年)8月、丁超の後任として通化省長になると1941年(康徳8年)6月2日までつとめ[1]、その後に総務庁参事官に転じた[3]。同年12月27日には満洲重工業開発理事に選任されている[4]。
以後、張書翰の行方は不詳。なお、『大衆人事録 第13版 外地・満支・海外篇』(昭和15年刊行)、「満洲」96頁には張に関する記載があるものの、次版の第14版(昭和18年11月刊行)から当該記載が脱落している。