積極的に中華人民共和国(中国)と向き合い、交渉する前提として、中国側がテーブルにつく必要があった。辜寬敏によれば、アメリカは陳水扁総統に台湾独立路線の放棄を要求し、その代わり、中国との対話を促し、仲介を行うことを約束したという。この約束は結果的に守られなかったが、当時は、中華民国の否定もしくは中華民国からの独立という意味での「台湾独立」を放棄する代償と考えられていた。つまり、陳水扁総統は、事実上の台湾国家である中華民国を中華人民共和国が承認することを期待していたのである。
中華民国(台湾)の地位向上と、中国との経済交流の促進という矛盾を実現する手段として、経済統合の実現が図られた。まず、経済統合の第一歩として、自由貿易協定の提案が想定された。当時、台湾は既に世界貿易機関加盟交渉がほぼ終了し、中華人民共和国の加盟交渉が終了するのを待って、両国が同時加盟するのを待つばかりであった。その後は、両国はWTO規定(GATT24条、GATS5条)によるFTA締結が可能となる。また台湾はWTOに「台湾、澎湖、金門、馬祖」独立関税領域として加盟しているが、中国に従属しない政府の地位を持っている。こうした国際的な枠組みにおいて、協定(条約)を締結すれば、中華民国(台湾)と中華人民共和国が真に対等であることが確定すると考えられたのである。同時にFTA締結は、同時に経済交流にも貢献するはずである。
陳水扁と林義雄民進党主席(当時)は、1999年に既に中国とのFTA(さらに関税同盟)の締結について、公言していた。また陳水編成権成立後の2000年中に、台湾の官僚が中国とのFTA締結を示唆する発言を行った。そして中国側の官僚からも経済統合が可能であるとの発言が行われた。さらに、2000年大晦日の演説において、陳水扁総統は「経済統合からはじめ、やがて政治統合や文化の統合に至るであろう」と統合論を提起した。中国語では経済統合を「経済整合」と呼ぶが、「統一」により近いイメージを持たせるため、あえて「統合」という用語を用いたのである。しかし、いずれも公開の場の発言とはいえ、両国間の交渉は全く行われず、単なる態度表明に過ぎなかった。