ナウル

南太平洋にある共和制国家 From Wikipedia, the free encyclopedia

ナウル共和国(ナウル語: Repubrikin Naoero)、通称ナウル(ナウル語: Naoero)は、太平洋南西部のナウル島を領土とする共和国である。ミクロネシアに属する。南太平洋で初めての共和国として独立した[4]

概要 ナウル共和国(ナオエロ), 公用語 ...
ナウル共和国(ナオエロ)
Repubrikin Naoero (ナウル語)
Republic of Nauru (英語)
ナウルの国章
国章
ナウルの位置
国の標語:God's Will First
(英語: 神意を第一に)
国歌ナウル我が祖国
公用語 ナウル語英語[1]
首都 ヤレン地区(政庁所在地) [注釈 1]
最大の都市 デニゴムドゥ地区(最大の居住地) [注釈 1]
政府
大統領 デビッド・アデアン
議会議長 マーカス・スティーブン
面積
統計 21km2193位
水面積率 0.57
人口
統計(2020年 1万1000[2]人(195位
人口密度 561.4[2]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2018年 11,649.68オーストラリア・ドルIMF推計値)
GDP(PPP
合計(2024年 150百万[3]ドル
1人あたり 12604.06ドル
独立
 - 日付
信託統治から
1968年1月31日
通貨 オーストラリア・ドルAUD
時間帯 UTC+12DST:なし)
ISO 3166-1 NR / NRU
ccTLD .nr
国際電話番号 674
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かつては、リン鉱石の輸出によって栄えた。1980年代には太平洋地域で最も高い生活水準を享受し、公共料金や税金は無料という生活を謳歌していた[5]。しかし、リン鉱石の枯渇により1990年代後半から経済が破綻状態となり、再建に向け模索が続いている[6]

ナウル共和国旗は黄色の横棒が赤道で、白色の十二芒星がナウル島を表している。また十二芒星はナウルの12の部族を象徴している[7]

2025年4月17日時点の人口は1万2014人[8]

国名

正式名称はナウル語Naoero, Republikナオエロ[5]。「Naoero」という名称は「私はビーチに行く」を意味する"a-nuau-a-a-ororo"という文章を縮めたものである[9]

日本語ではナウル共和国、通称ナウルと呼ばれ、漢字による表記は「瑙魯」。英語ではRepublic of Nauru[10][11]。旧称はプレザント島Pleasant Island)。

2026年1月29日、デビッド・アデアン大統領が国名をNaoeroナオエロ)に統一する憲法改正案を提出。その後、法律に定められた議論と投票のための90日間の休会期間を経て議会に再提出された[12][13]。同年5月12日、憲法改正案が議会で可決され、発効のために必要な国民投票を実施することが発表された[14]

歴史

アメリカ陸軍航空軍B-24爆撃機による爆撃を受けるナウルの日本軍飛行場

先史時代

ナウル人がナウル島に渡来した時期は考古学言語学の調査が十分に行われていないため詳細は不明で、紀元前2000年ごろに西方からカヌーによって行われたと推測されている[15][5]。そのため近隣のマーシャル諸島キリバスと同系統のミクロネシア系の文化を持つ社会が存在していたとされる[15][5]。またメラネシア系文化の影響も多分に受けており、古代にメラネシアとの交渉があったと推測されている[15]

植民地時代

1798年イギリス捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンが来島し、島をプレザント島(Pleasant Island)と命名[16]。その後1830年代1840年代には、食料と水を求める捕鯨船やビーチコマー(浮浪白人)と呼ばれる人々が島を訪れた[16][17]

1888年4月にドイツ国保護領となる[16][18][5]1899年ニュージーランド地質学者アルバート・エリス英語版がリン鉱石の鉱床を発見する[19][注釈 2]。ドイツは採掘権をイギリス資本の「パシフィック・フォスフェート・カンパニー」に与え、1907年に採掘が開始された[16][20]

第一次世界大戦でドイツがイギリスに宣戦布告したことで1914年11月にオーストラリア軍はナウル島を占領し[16][21]、戦後の1920年にはイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連盟委任統治領となった[16][22][5]

1942年8月に日本軍が占領[23][15]。1,200人の島民がチューク諸島に強制連行され、多くの島民が死亡した[23][24]。第二次世界大戦後の1947年には再びイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連合信託統治領となった[23][5]

移住計画

20世紀にオーストラリア・イギリス・ニュージーランドの3国によってナウルに埋まっていたリン鉱石を乱掘し、その結果として国土は荒廃した。科学者は「1990年代半ばまでに人が住めなくなる」と警告し、住民の集団移住が検討された。

1962年メンジーズ豪首相は責任を認め、移住先を用意する義務があると表明。調査の結果、1963年クイーンズランド州カーティス島が候補となり、農業や漁業を基盤にした新生活構想が示された。しかしナウル人は、文化やアイデンティティを失うことへの不安、豪政府の責任逃れへの反発から拒否。豪政府も島の主権放棄を認めず、計画は頓挫した。

この問題は2003年にも再浮上したが、ナウルは再び拒否し、移住計画は幻となった[25]

独立後

1966年に内政自治を獲得[23][15]1968年1月31日には独立してイギリス連邦に加入した[26][5]1980年代には、リン鉱石の輸出で得た莫大な収入により太平洋地域で最も高い生活水準を有していた。しかし、その後のリン鉱石の枯渇によって政府は深刻な財政危機に瀕した[5]2004年からの改革によって状況は多少改善され、リン鉱石の2次採掘が開始されたことで輸出による収入も増加傾向にある[27]

1999年9月14日には国際連合に加盟。

2000年代にはパシフィック・ソリューションが問題になり、国際社会から非難が集まった[11]

2021年7月にはクック諸島前首相のヘンリー・プナ太平洋諸島フォーラム(PIF)事務総長に就任したことを受け、ミクロネシア圏からの事務総長選出を含む改革を要求するため他のミクロネシア圏の4カ国とともにPIFから離脱すると表明[28]したものの、翌2022年2月にはブナの早期退任を期待し離脱を一時撤回する形で矛先を収めている[29]

2026年5月12日ごろには政府が国名を「ナウル共和国」から「ナウエロ」に変更することを発表。国名「ナウル共和国」は1968年1月31日独立後から使われた[30]

地理

ナウル島の衛星写真

ソロモン諸島ギルバート諸島の間、バナバ島の西方300キロメートル、シドニーの北北東3930キロメートルに位置する[31]。国土面積は21km2[31][10][5]。隆起サンゴ礁島で、最高点のコマンド・リッジでも標高が65メートルと平坦である[10][11]

気候

ケッペンの気候区分では熱帯雨林気候 (Af) に属している[32]。平均年降水量は2000mm程度である。ただし年による変動が大きく[10][11]、例として、1930年1940年には4000mm、1950年には300mmを記録している[10]。気温は年間を通じて24-33°C[31]。湿度は80%前後で、年による変動は小さい[31]

地方行政区分

ナウルの地図 ほぼ赤道直下に位置する。海岸沿いを除くほとんどの部分は台地(色の薄い部分)になっており、ほぼすべてがリン鉱石となっていた

ナウルは14の地区に分けられる。地区は以下の通り。

ヤレン地区に政庁があることから、一般にナウルの首都はヤレンとされる。しかしナウルには行政上都市は存在せず、従って公的に定められた首都も存在しない。ヤレン地区の人口は2004年現在で1,100人。

政治

ナウル議会

内政

議会は一院制で、定員は18、任期は3年である[33][15]。議員の互選で選ばれる大統領が閣僚を指名し組閣する[11][5]。しかし、政策決定は実質的に「地方政治評議会」が担い、内閣は行政執行のみを行うのが実情である[5]

外交

1999年国際連合に加盟[5]。国際的にはジョージアの一部とみなされているアブハジア共和国南オセチア共和国を国家承認している[34]。ナウルは2002年から2005年にかけて中華人民共和国と国交を結んでいたが、その後中華民国と国交を結び、中華人民共和国とは国交を断絶していた。また2024年1月15日には国家と国民にとっての最善の利益を考えて中華民国台湾)と断交し、中華人民共和国の国家承認を行うと発表した[35][36]。中華民国との断交は二回目である[37]

2020年10月23日核兵器禁止条約を批准した[38][39]

軍事・警察

警察はあるが軍隊は存在しないため、国防に関してはオーストラリアに依存している。

経済

伝統的にナウルの人々はココヤシタコノキの栽培と漁労による生計経済を営んでいたが、リン鉱石が発見されて以降は経済が激変する[5]。ナウルの経済は長い間リン鉱石の採掘に支えられてきたが[33]、その枯渇と海外資産の喪失により1990年代後半から破綻状態となった[11]。しかし2004年からの改革によって状況は多少改善されている[11]

農業

土壌のほとんどが痩せて多孔質なことと、降雨量が不規則なことが合わさり、耕作は沿岸部に限られている[40]。農業はほとんど発展しておらず、伝統的に栽培される作物などはあるが、食料の多くはオーストラリアなどの輸入に依存している[41]

漁業

ナウルの排他的経済水域(EEZ)は広大であり、その漁業権を販売することでも収入を得ている[42]中国日本、台湾、韓国アメリカなどがナウルEEZ内で漁を行っている[43]2016年のナウル国籍船の総漁獲量は530トンほどであった[44]

鉱業

リン鉱石の採掘は1907年に開始された[16][20]。一度は枯渇したものの、二次採掘(リン鉱石の二次層の採掘)が開始されたことで収入は増加基調にある[27]。二次採掘は30年から40年行えると推測されている[45]

ナウルのリン鉱石は、鳥の糞と死骸が混ざりあったグアノが島の土壌やサンゴ礁と混ざりあったことで時間の経過とともに形成されたという[46]

通信

政府が週刊紙"Nauru Post"と隔週紙"Bulletin"をナウル語および英語で発行しているほか、海外の新聞も広く購読されている[47]

固定電話の契約数は2009年時点で1,900件、携帯電話の契約数は2016年時点で9,900件[32]

国営のラジオ・ナウルがナウル語と英語で放送されており、ラジオの台数は1994年時点で6,000台[47]

インターネット利用率は2011年時点で54.0%[32]であるが、ITインフラが脆弱なため政府公式サイトに接続できないこともあり、職員はGmailなど民間のサービスを業務に使用している[48]

2003年には通信機器の故障によって国ごと音信不通になったことがある[49][50]。しかし全ての電話回線が機能していない訳ではなく、一つだけ機能している電話回線が存在していた[50]

交通

ナウル国際空港

国内

島を一周する19キロメートルの舗装道路が道路の70%を占め[16]、島の沿岸部分を囲んでいる[51]

国外

国外との交通は長らく海運に依存し、輸出入を行っていた[16]。国営のナウル太平洋海運は3隻の商船を所有している[16]

空路は国営のナウル航空ナウル国際空港を拠点に運航している。かつては鹿児島や那覇を含む太平洋各地の都市に就航していたものの、リン鉱石による収入が減少したことなどで運航は縮小されている。日本への定期便は1972年に開設され、グアム島経由で鹿児島と那覇に乗り入れていたが、1988年に休止され、その後廃止された[16]

国民

人口

2025年時点で人口は1.2万人[52]

人種

ナウル人が全体の96%を占め、その他はキリバスツバルの出稼ぎ移民、中国人、欧米人から構成される[5]。1990年代ごろまでは住民の4割程度が外国人労働者で、その後、リン鉱石採掘の縮小に伴って激減した[11]。ナウル人は海岸部の伝統的な集落に住み、キリバス人、ツバル人、中国人は採掘場付近に住む[53]

ナウル人の民族的な起源にはミクロネシア系、メラネシア系、ポリネシア系があり、ポリネシア系が最も近いとされる[16]。ナウル人は伝統的に12の母系的血縁集団に分かれているが、血縁関係や相続には父系的な特徴も見られる[16]

言語

主要言語はナウル語と英語である[10][11]。ナウル人のほとんどはナウル語と英語を話すことができる。日常会話ではナウル語が使われ[16]、教育や行政、ビジネスでは英語が広く使われている[16]。またナウルに住む中国人とのコミュニケーションではピジン英語が利用されることもある[54]。また15歳以上の識字率は96%以上である[55]

宗教

19世紀からキリスト教が広まった[16]。国民の大部分はキリスト教徒であり、49%がプロテスタント、24%がカトリックである[5]

健康

2013年時点の平均寿命は79.0歳[32]

2008年世界保健機関が発表した調査によればナウルの人口の78.5%が肥満であり、これは世界で最も高い[56]2022年に、ランセット誌に掲載された肥満率のデータによれば女性73%、男性70%と低下傾向を見せているが、それでも世界の国・地域のトップクラスからは脱していない[57]

またナウル人の最大の死因は糖尿病である[58]

文化

ナウルではビンゴにお金を賭ける「ビンゴ賭博」が行われている[59]。あらかじめ政府に登録した広い部屋がある住宅に集まって行い、賭け金は日本円で1000円ほどからスタートする。

またビンゴ賭博を開くための許可と違法ビンゴ民家への注意が主な仕事である「ビンゴ警察」という公務員が存在する。ビンゴ警察が三度ほど注意しても違法ビンゴをやめない場合はナウル国家警察によって逮捕される[60]

スポーツ

リンクベルト・オーバル英語版で行われたオージーフットボールの試合 (1999年)

オーストラリアの影響でオージーフットボールが盛んであり、ナウルの国内リーグも存在している。スタジアムは経済的に繁栄していたころに建設された、サッカー兼用スタジアムであるリンクベルト・オーバル英語版を主に利用している。

サッカーナウル代表1994年10月2日に、デニゴムドゥ地区ソロモン諸島代表と1度だけ国際Aマッチ(親善試合)を行っており、2-1で勝利している。それ以降2022年現在に至るまで、代表チームは試合を行なっていない。

伝統的なスポーツとしてはクルドゥガと呼ばれるものが存在している。丸太に木の棒を当て、落下地点で点数を競う競技である。しかし現在は協議人数が低下し消滅が危ぶまれている[61][62]

祝祭日

さらに見る 日付, 日本語表記 ...
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日New Year's Day
1月31日 独立記念日Independence Day1968年のこの日に独立したことに由来
イースターの日曜日の直前の金曜日 復活祭Good Fridayイースター、変動祝日(3月か4月)
イースターの日曜日の翌日 復活祭 Easter Monday イースター、変動祝日(3月か4月)
5月17日 憲法記念日Constitution Day1968年のこの日に憲法が制定されたことに由来
8月21日 部族の日 Day of the Tribes 公務員休暇
9月25日 国際青少年デー National Youth Day 国民の健康増進(肥満率低下)を目的に制定
10月26日 アンガム・デーAngam Day第一次大戦後の人口調査で、民族の存続に必要な1,500人を下回っていることが判明したナウルの人口が、1932年のこの日に1,500人に達したことを記念
12月25日 クリスマスChristmas
12月26日 クリスマス Boxing Day
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日本との関係

自治体との関係

2021年2月、ナウル共和国政府観光局日本事務所は鳥取県知事の平井伸治のキャッチフレーズである「スタバはないけどスナバはある」を無断で借用し、公式Twitter(当時)で発信をした[63][64]。後日、平井は知事定例記者会見にて、「使用許諾を与えたい」とコメントを出している[65]。また、 鳥取砂丘観光の振興につなげようと「すなうる」の新たなダジャレを考案し、売り込むためにすナウル共和国連合の設立をナウル共和国に提案した[63][65]

2025年7月24日、ナウル共和国政府観光局日本事務所が、広報連携をする市町村の募集を開始したところ、北山村御浜町東大阪市箕面市舟橋村田原本町などが立候補した[66][67][68][69]

万博での連携

2025年4月13日から10月13日まで開催された大阪・関西万博では、ナウルは共同館であるコモンズB館にパビリオンを出展し[70]、8月16日にナショナルデーの公式式典及びイベントが開催された[71]

6月3日、ナウル共和国政府観光局日本事務所により、ナウルの領土であるナウル島をモチーフとしたナウルのゆるキャラ及びナウルパビリオンの公式マスコットキャラクターとして「ナウルくん」が公開され[72]、後述するオンラインショップ「ナウル屋」で、グッズの販売が開始された。

万博終了後の同年12月7日には東大阪市の石切参道商店街に「ナウル共和国石切参道パビリオン」が常設施設として設けられ、大阪・関西万博のナウルパビリオンの展示の再現を行っておりアフター万博を盛り上げている[73]

SNS

SNS上の日本語向け観光プロモーションの一環として、ナウル共和国政府観光局日本事務所による日本語の公式X(旧Twitter)アカウント[74]が2020年10月1日に開設され、1週間でフォロワー数は2万人超[75]、2025年9月17日時点で約55万人となっている。交流の一環としてナウル関連の投稿へのいいねリポスト、フォロワーへのフォローバックといった事を行っているが、その関り方や内容が問題となりまれに炎上している。

ショップ

ナウル共和国政府観光局日本事務所の公式グッズを取り扱うオンラインショップ「ナウル屋」[76]が開設されており、日本人へのグッズ展開を行っている。2021年8月には「ナウル屋」の公式Twitterアカウントも開設され、「ナウル日本友好バッジ」などを始めとする商品の広告を行っている。

さらに現在では、ナウル屋出張所という形で日本全国各地でナウル屋代理店を開設している[77][78][79]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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