彦根バルブ

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彦根市小泉町にある昭和バルブ製作所の本社工場。道路側に製品のバルブが展示されている。

彦根バルブ(ひこねばるぶ)は、滋賀県彦根市を中心に形成されるバルブ業界のことである。

彦根バルブは彦根の三大地場産業である仏壇・バルブ・ファンデーションの中で最大規模を持つ[1]。ただしすべての会社が本社を彦根市に置いている訳ではない[1]野洲市米原市多賀町愛荘町日野町東近江市などの周辺地域にもバルブメーカーやその関連メーカーが形成されている[2]

バルブのブランドメーカー30社と、それを支える70 - 80社から彦根バルブ業界が形成され、従業員の規模は計1500人にのぼる[2]。これは日本国内で最大のバルブ産地を形成しており、また滋賀県内で最大規模の地場産業となっている[2]。特に水道用のバルブは全国シェアの50%以上を占め、そのほか産業用や船舶用にも様々なバブルが生産されている[3]

2024年(令和6年)度での生産高の規模は322億円にのぼる[2]

沿革

彦根は江戸時代以降、武具職人が仏壇職人に転身し、彦根仏壇の産地を形成していた[4]

1887年明治20年)に門野留吉が蒸気カランを作り始めたのが彦根でバルブ業界ができるきっかけと言われる[2]。門野は元々仏具装身具の錺金具を作る仏壇職人であったが、この技術を活かして信州の製糸工場から注文を受けて蒸気カランを製作した[4]。門野の下で修行を重ねた弟子が独立し、鋳物業やバルブ加工業を開業して彦根バルブの業界が形成されていった[2]。こうした門野の弟子たちは「門野系」と呼ばれる[5]。また、現在の彦根市芹川町の荒川鉄工所で腕用ポンプが製造され、その鉄工所の勧めで林新太郎が銑鉄鋳物工場を立ち上げ、林の弟子である杉本音次郎が鋳鉄バルブを専門に製造するようになったのが門野とは異なるもう1つのルーツである[6]

明治時代はバルブが規格で統一されておらず、設計者によってフランジの孔の位置・数など形式がバラバラであった[7]。そのため、水道や工場などで大規模にバルブを発注する場合は大きな工場が生産するが、その後の部品の取り換えになると多品種少量生産であった[8]。彦根ではそのような個別生産でも良質なバルブを提供したため、彦根バルブの信頼を問屋から得ていった[9]

昭和初期の日本経済は不景気に見舞われていたが、バルブは用途が広範囲で需要があり、深刻な影響を受けなかった[10]1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)頃にかけて、帝国人絹日本窒素旭ベンベルグなどからバルブの大量注文を受けていたため、採算が良く、資本が蓄積されていった[10]

1935年(昭和10年)から1938年(昭和13年)頃には彦根バルブの主力業者が問屋との間で強い関係性を作っており、安定した経営状況を作り上げていた[9]。しかし、第二次世界大戦中の戦時統制によって問屋依存から方針を変えることになる[11]。問屋との縦の繋がりから、同じ業界で横に繋がりに転換することとなる[11]1938年(昭和13年)に彦根鉄工機械工業組合が設立され、製品の組合検査が始まった[11]。この頃から問屋のマークではなく、自社のマークで商品を提供する工場も出てきた[11]

第二次世界大戦の影響で軍用目的での注文が大量に入るようになると、組合は共同受注の役割を果たし、協定価格の設定と配給統制の実施の面でも有効であった[11]。しかし、1942年(昭和17年)の戦時企業合同によって工場の合併をしなくてはならなくなった[12]

第二次世界大戦後は材料の鋳鋼製への切り替え、問屋の弱体化、技術の時代遅れ、規格の統一化などの問題が立ちはだかった[12]。しかし、自社ブランドでの販売や検査の厳格化など技術向上によって問題の解決を図った[13]

1960年(昭和35年)に滋賀県立機械金属工業指導所(後の滋賀県東北部工業技術センター彦根庁舎)、1961年(昭和36年)には滋賀県立職業訓練校を彦根に誘致することが実現した[14]。この当時、バルブ性能試験装置が設置されたのは全国の公共私見研究機関の中でも滋賀県立機械金属工業指導所のみであった[15]。この指導所の支援によって、既存バルブの改良・量産前の施策バルブの評価、認証・規格の適合度の実証評価が可能になった[15]

1970年代後半から1980年代にかけては国内バルブの需要が低下したことで、ソ連中東などにバブルを輸出するようになった[15]1985年(昭和60年)のプラザ合意によって円高ドル安が急激に進行したことで、アジアに生産拠点を設けるメーカーが出てきた[15]。これにより、海外メーカーとの技術提携も行われるようになる[15]

技術

ビワライト

彦根バルブは関西大学・滋賀県東北部工業技術センターとの共同で鉛を含まない銅合金鋳物「ビワライト」を開発した[3]。この素材は亜鉛硫黄を加えて形成される[16]。開発の背景には水道水の安全性を向上するため、水道施設に使用される機器から溶出する物質の基準を厳格化したことである[3]。約7年で開発されたものであり、コスト面に配慮しつつも鋳造性に優れ、再溶解してリサイクルできるとメリットを持つ[3]

脚注

参考文献

外部リンク

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