彭瑞麟 From Wikipedia, the free encyclopedia 繁体字: 彭瑞麟拼音: Peng Ruey-lin発音転記: ポン・ルイリン彭瑞麟 彭(右)と石川欽一郎各種表記繁体字: 彭瑞麟拼音: Peng Ruey-lin発音転記: ポン・ルイリンテンプレートを表示 彭瑞麟(ほう ずいりん、Peng Ruey-lin,1904年11月4日 − 1984年2月3日)は、台湾の写真家。日本統治下で活動し台湾における写真家の先駆的な存在であったが、中国復帰と国民党による統治下で写真家としての活動を終え長く幻の写真家と言われていた。 新竹県出身。台北師範学校で石川欽一郎の下で水彩画を学び、1928年に東京写真専門学校(現東京工芸大学)に進学。写専在学中に東京写真研究会のコンクールに入選し、皇族の写真撮影にも携わった。 1931年に首席で卒業すると台北市太平町(現大同区延平北路)にアポロ写真館を開業。写真技師として生計を立てながら後進の指導にもあたる。1938年には大阪毎日新聞主催の日本写真美術展で「太魯閣の娘」が入選、また写真印刷でも業績を残した。日中戦争では徴用され広東省で通訳に従事している。 日本の統治が終わり台湾には国民政府軍が進駐するが、二・ニハ事件に伴う戒厳令施行と本省人有力者への弾圧の中で彭も逮捕。懇意にしていた黄国書(中国語版)の尽力で釈放されるものの、以後は写真家としての活動を止め家業の漢方医として余生を過ごした。 ウィキメディア・コモンズには、彭瑞麟に関連するカテゴリがあります。 ギャラリー 広州風景(1938年) 宮内省の女官 鉄工所の労働者の指(X線写真) 六榕花塔 トラン・ヒー・タンとホアン・ナム・フン(ベトナム語版) 女学生姿の呂玉葉カラーによる写真印刷 Related Articles