後藤江陽

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後藤 江陽(ごとう こうよう、1910年〈明治43年〉7月24日 - 1992年〈平成4年〉3月31日)は、日本の写真家実業家江陽グランドホテル(後藤江陽写場)の創業者。元日本写真協会理事[1] 、元日本写真文化協会相談役[2] 、元日本婚礼写真協会副会長[3]

生誕時の本名は、後藤長吉。江陽は18歳のとき自ら付けた雅号であり、昭和初期に東京写真研究会で活動した写真家の安本江陽、日本写真協会を創設した岡田紅陽にあやかって「日本の三大コウヨウにならん」として名乗ったもの。後年60代になって裁判所で名の変更が認められ、後藤江陽が本名となった[4]

宮城県宮城郡岩切村(現在の仙台市宮城野区岩切)の豆腐屋の家に5人兄弟の末子として生まれる。岩切尋常高等小学校を卒業した[5][6]

1925年(大正14年)、14歳で栃木県小山市写真館を営む叔父の家に書生として住み込み、写真の修業をする[7]。1933年(昭和8年)4月、仙台市長町八本松(現在の仙台市太白区八本松1丁目)に写真館「後藤スタヂオ」を開く[4]太平洋戦争では、カメラマンとして従軍写真班に入隊し中国に渡る [8]。1940年(昭和15年)5月に仙台市一番町に移転した店舗が1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で焼失するも、すぐバラックを建てて店を再開し、戦後は店舗を次々と新築拡大していく[9]

1953年(昭和28年)8月には、全国の写真館に先駆けてカラー写真自家処理ラボ設備を持つ近代的写場を建設し、カラー写真の撮影を開始する[10]。結婚記念写真の撮影が多かったつながりから、1957年(昭和32年)には、東北初の総合結婚会館の事業に進出し「江陽会館」を開館した[11]。また、1969年(昭和44年)9月には、中華飯店「龍天江」を開業した[12]。さらに結婚式参加者向けのホテル需要が高まったことから、1973年(昭和48年)にはホテル業に事業拡大した。「ホテル江陽結婚会館」を経て、1985年(昭和60年)1月には「江陽グランドホテル」を開業する[13]

1981年(昭和56年)11月3日、産業功労で宮城県知事賞を授与される[14]

1992年(平成4年)3月31日、仙台市内の病院で心筋梗塞のため81歳で死去した[15]

人物

脚注

参考文献

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