徐防

From Wikipedia, the free encyclopedia

徐 防(じょ ぼう、生没年不詳)は、後漢政治家は謁卿。本貫沛国銍県

徐憲の子として生まれた。若くして父祖の伝える易学を習った。永平年間、孝廉に察挙され、郎に任じられた。徐防は容貌が誇らしくおごそかで、応答に見るべきものがあったので、明帝はこれを珍しく思って、特別に尚書郎に抜擢した。徐防は枢機をつかさどる職務にあって、細心周到につとめ、明帝と章帝に仕えて失態を犯さなかった。和帝のとき、司隷校尉に転じ、魏郡太守として出向した。98年永元10年)、少府大司農に転じた。

102年(永元14年)11月[1]司空に任じられた。104年(永元16年)10月[1]司徒に転じた。106年延平元年)1月[2]太尉に転じ、太傅張禹とともに録尚書事をつとめた。

107年永初元年)[3]、龍郷侯に封じられた。9月[4]、災害や反乱が相次いだことから、徐防は太尉から罷免され、封国に赴いた。三公が災異のために免官されたのは、徐防を初例とする。

後に徐防は死去した。

子女

脚注

伝記資料

Related Articles

Wikiwand AI