徒士
武士の階級
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江戸幕府の場合
諸藩の場合
諸藩では概ね「徒士」と呼称しているが越後長岡藩では「小組」、飫肥藩では「歩行」と別の呼称をする藩もある[2]。
例えば柳河藩では延宝9年(1681年)の史料に「御徒」の呼称が登場し、その後の史料では「御徒士組」や「徒士」と呼称されている。柳河藩の場合も幕府同様に蔵米知行で、知行は5人扶持から3人扶持であるが時に7人扶持や2人扶持もいた。また、飫肥藩での徒士(歩行)の石高は36石から6石までいる。
徒士を統括する役職は柳河藩や越後長岡藩では「徒士頭」と呼称しているが、長州藩では「徒士総頭」と呼称している。
通常の徒士のほかに臨時雇いの徒士格・徒士並とがあり、商工業の発達していない藩では技能職の徒士並侍を臨時雇いした[3]。それらには筆書・測量・算術のほか、塗物師・左官・小細工・大工・紙漉・白銀(彫金等)細工の棟梁が含まれており、薬師や塗物師のように材料を育てる必要のある者にはそのための所領が与えられたが、多くは給金と扶持米だけで雇われた[3]。