御手洗冨士夫
日本の実業家
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人物
大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
アメリカ勤務が23年間と長く、アメリカ仕込みの合理的経営をキヤノン経営にも持ち込んだ。
来歴
- 1935年9月23日:大分県南海部郡蒲江町(現・佐伯市)に生まれる。
- 1961年3月:中央大学法学部卒業。在学中より法曹を目指し司法試験を受験するが断念し、同年4月、伯父御手洗毅が創業者の一人であったキヤノンに入社。
- 1979年:キヤノンUSA社長に就任。
- 1995年:社長を務めた従弟の御手洗肇の死去を受けて第6代社長に就任する。
- 2000年:ビジネス機械・情報システム産業協会会長に就任[3]。
- 2006年:日本経済団体連合会会長に就任。キヤノン会長に就任。
- 2010年:日本経済団体連合会会長を退任。現在名誉会長。
- 2012年:キヤノン社長に6年ぶりに復帰し、キヤノン代表取締役会長兼社長となる。
- 2013年:秋の叙勲にて旭日大綬章を受章[4]、日本郵政株式会社取締役
- 2016年:キヤノン会長に専念。
- 2020年:キヤノン社長に2度目の復帰、社長を務めるのは3回目[5]。
- 2021年:公益財団法人ボーイスカウト日本連盟総裁就任。
- 2026年:キヤノン会長CEOに専念。
業績
評価
終身雇用の実力主義
政治への対応
2007年1月1日には、経団連会長の立場として、消費税率を“2011年度までに現行より2パーセント程度、その後さらに3パーセント程度上げ”提唱を含んだ、『希望の国、日本』(御手洗ビジョン)を発表した[9]。
一方で、法人税は実効税率を2015年度までに約10パーセント下げるべきだと提唱をしている。
また、それらの経団連の目的の実現のために自由民主党への多額の政治献金を経団連会員である企業に促し、御手洗自ら会長に就いているキヤノンも率先して年数千万円程度の献金を行うことをすでに決定している[注釈 1]。
しかし、2009年に政権交代により民主党政権となり、民主党とのパイプをもたないため[要出典](ただし、元民主党代表の菅直人とは高校の同窓生である)、発言力は著しく低下した[要出典]。2010年に、任期満了で経団連会長を退任した。
慈善活動
教育者として
キヤノン本社では御手洗自身が塾長となって『経営塾』と称する実践教育を実践し若手の教育活動を行っている[6]。
社会的活動
- 文部科学省国立大学法人評価委員会第1期委員(2003.10.1〜2005.9.30)
- 特定非営利活動法人日本防災士機構評議員
その他
- 社長就任後、「キヤノンの全事業所を見る。」と言い、現場視察を行った。
- 平社員時代にアメリカに赴任。現地でキヤノンUSA社長に昇格、日本に帰国する前にキヤノン本体の取締役となった。その関係もあり、管理職経験のない経営者となった。
- 「学生時代は学食食べるために通っていたよ。」と冗談を飛ばすこともある。
- 読売新聞主筆の渡辺恒雄氏と旧知の仲。
2010年、財界人で作る巨人軍を応援する燦燦会の会長就任