御祓村

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廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
五十崎町・天神村御祓村五十崎町
現在の自治体 内子町
日本の旗 日本
みそぎむら
御祓村
廃止日 1954年9月1日
廃止理由 新設合併
五十崎町・天神村御祓村五十崎町
現在の自治体 内子町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
喜多郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 大瀬村河辺村肱川村天神村
御祓村役場
所在地 愛媛県喜多郡御祓村大字只海
座標 北緯33度31分08秒 東経132度42分28秒 / 北緯33.51886度 東経132.70778度 / 33.51886; 132.70778座標: 北緯33度31分08秒 東経132度42分28秒 / 北緯33.51886度 東経132.70778度 / 33.51886; 132.70778
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御祓村(みそぎむら)は、1954年昭和29年)まで愛媛県の南部、喜多郡にあった。現在の喜多郡南部にあたる。肱川水系の御祓川の流域。

現在の喜多郡内子町の南部。小田川の支流、御祓川の流域。御祓川が村内をほぼ西流する。御祓川の右岸、北側が只海、南側が北表。西方を除き周囲は600m程度の山々で囲まれている。南は山鳥坂で河辺村と接する。

地名の由来

  • 御祓川の流域であることから。

歴史

藩政期

明治以降

  • 1875年(明治8年) - 壺中小学校分校開校。
  • 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制実施により、只海村(ただのうみ)・北表村(きたおもて)が合併して「御祓村」成立。喜多郡に属す。
  • 1909年(明治42年) - 河辺村大字山鳥坂(やまとさか)字オヤブ・ダラリを編入。
  • 1954年(昭和29年) 9月1日 - (旧)五十崎町、天神村との合併により、新たな五十崎町となる。
御祓村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)
            町村制施行時 
只海   ━━┓                      
       ┣━━━  御祓村 ━━━━━━━━━┓ 
       ┃                 ┃
北表   ━━┛                 ┃
                          ┃  (昭和29年9月1日合併)      
                         ┣━━━━ 五十崎町
             (旧)五十崎町 ━━━━┫     
             天神村    ━━━━━┛     
             
(注記)旧五十崎町ほかの合併までの系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。

地域

大字として、只海、北表の2つの大字があった。いずれも、発足前の旧村がそのまま大字となったもの。後に、河辺村の一部を編入、大字山鳥坂とする。

おおむね御祓川の北岸が只海、南側が北表。山鳥坂は南部、河辺村との境。

行政

役場は大字只海においた。

産業

交通

関連項目

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