御籠島
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 愛称: 大島、御島 | |
|---|---|
|
佐田岬と御籠島。右から延びるのが佐田岬。中央左の平場の先にあるのが御籠島。 | |
| 地理 | |
| 場所 | 瀬戸内海(伊予灘) |
| 座標 | 北緯33度20分39.3秒 東経132度0分48.1秒 / 北緯33.344250度 東経132.013361度座標: 北緯33度20分39.3秒 東経132度0分48.1秒 / 北緯33.344250度 東経132.013361度 |
| 諸島 | 芸予諸島 |
| 面積 | 5,300 m2 (57,000 sq ft) |
| 最高標高 | 36 m (118 ft) |
| 行政 | |
| 都道府県 |
|
| 郡 | 西宇和郡 |
| 町 |
|
| 人口統計 | |
| 人口 | 0 |
| 追加情報 | |
| 時間帯 | |
御籠島(みかごじま)は、愛媛県佐田岬の先端にある島。愛媛県西宇和郡伊方町(旧・三崎町)に属し、地元では大島(おしま)あるいは御島(おしま)とも呼ばれる。佐田岬灯台の100m西にある[1]。四国の最西端に位置する。瀬戸内海国立公園の一部ともなっている。最高点は標高36m、面積5300平米[2]。
江戸時代には、海上交通安全の神としてこの島に野坂権現(現在の野坂神社)[3]が祭られており、神聖な島とされていた[2]。
1945年2月、芸予要塞の一部として、この島の内部をくり抜いて佐田岬砲台の第4砲台の工事が開始され[4][5]、突貫工事で半年ほどで完成するが、程なく終戦となり砲台は廃止される[5][4][6]。設置されていた三八式十二糎榴弾砲は進駐軍の指示で解体された。
1967年3月、当時の三崎漁協が、出荷管理のために佐田岬と御籠島の間の狭い海峡に畜養池[7]を作ったため、佐田岬と陸続きとなったが、漁協所有施設のために一般人の立ち入りは禁止された[1]。2010年に蓄養池は使用されなくなったが、畜養池は海と繋がっているので、現在でも畜養池の中に魚の群れを見ることが出来る[2]。
1973年11月、第25金光丸救命地蔵という碑が建立されているが、詳細は不明である。
2017年4月、伊方町によって「佐田岬灯台点灯100年記念」として周辺の整備が行われた。佐田岬灯台からの遊歩道が新たに200m造成され、御籠島に一般者が渡れるようになった。佐田岬灯台公園「御籠(みかご)島エリア」として、四国最西端の御籠島展望所、灯台点灯100年記念のモニュメントが作られた他、太平洋戦争末期に御籠島をくり抜いて作られた佐田岬第4砲台が再整備され、内部が見学できるようにされた[8]。周囲には説明用の掲示やトイレ、榴弾砲のレプリカも配置された[9]。
アクセス
佐田岬灯台の駐車場からアップダウンがある遊歩道進み、佐田岬灯台へ上る直前の階段を登らずに右側(北側)の海岸方面に降りて漁協の畜養池へ進む。灯台の駐車場からは距離1500m、徒歩25分[2]。