御船遊管絃祭
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延元元年(1336年)、新田義貞は拠点を北国に築くために、後醍醐天皇の皇子である尊良親王・恒良親王を奉じて、10月13日に敦賀の金ヶ崎城に入った[1]。やがて、足利軍の斯波高経の軍勢に包囲されたが、新田義顕(義貞の長男)と脇屋義助(義貞の弟)らの奇襲攻撃により、一時撃退に成功した[1]。10月20日(新暦の12月1日)に敵の包囲が解けたため、ひとときの慰めとして、船を出し月や雪を眺めながら、親王らや義貞などが楽器を手に取り、演奏を楽しんだという。この様子は「太平記」巻十七の「金崎船遊事付白魚入船事」の段に描かれている[2][3]。御船遊管絃祭は、これに由来し、時期は新暦の10月20日とし、紅葉を愛で、雅楽と舞を両親王に捧げ、慰めるかたちで行われている[4]。



