復興建設技術協会
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東京都千代田区大手町2の4
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1958年(昭和33年)頃、本部事務所前にて | |
| 団体種類 | 社団法人 |
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| 設立 | 1946年(昭和21年)6月1日 |
| 所在地 |
東京都千代田区大手町2の4 |
| 主要人物 |
佐野利器(会長) 久保田敬一(会長) 三浦義男(副会長) 三木巧(会長) 花井又太郎(中部支部長) |
社団法人復興建設技術協会(しゃだんほうじん ふっこうけんせつぎじゅつきょうかい)は、かつて存在した日本の社団法人。第二次世界大戦後の日本において、戦災復興事業に関わる建設技術者の組織化と、復興事業の推進を目的として設立された。
1946年(昭和21年)6月1日に発足し、戦災都市の復興、測量・設計・調査、公共土木事業の受託などを行った[1]。同協会は、戦後の復興期における建設技術者、特に海外からの引揚技術者や戦災により職を失った技術者の受け皿としての役割も担った。
のちに収益事業部門の分離や株式会社化が進められ、戦後日本における建設コンサルタント業の形成にも関係した団体の1つ[2]。株式会社復建技術コンサルタント、株式会社復建エンジニヤリング、中部復建株式会社、中央復建コンサルタンツ株式会社、復建調査設計株式会社、第一復建株式会社の6社は、同協会の支部を源流に持つ企業として知られ、現在でも各社の社名に「復興建設」の名残が「復建」として残っている。
同協会は、終戦直後の日本において、荒廃した都市や社会基盤を再建する必要性が高まる中で設立された。終戦後の日本では、都市の焼失、住宅不足、交通網の寸断、失業者の増加などが深刻な社会問題となっていた。特に東京、大阪、広島、長崎などの戦災都市では、復興のための都市計画、測量、設計、施工管理に携わる技術者の確保が急務であった。
このような状況のもと、建設技術者の知識と経験を復興事業に活用するため、大日本技術会を母体とする関係者らによって設立準備が進められた。同協会は、戦災復興院、内務省、運輸省、厚生省、農林省、東京都などの行政機関と関係を持ちながら、戦災都市の復興に必要な調査、測量、設計などの業務を担った[3]。
設立の背景
1945年(昭和20年)8月の終戦により、日本は国土の多くを戦災で失った。都市部では空襲による焼失区域が広がり、住宅不足、食糧難、失業問題が深刻化していた。また、海外からの引揚者や復員者が増加し、技術者の失業対策も大きな課題となっていた。
一方で、復興事業を進めるには、都市計画、道路、橋梁、河川、鉄道、上下水道などに関する専門技術が必要であった。こうした背景から、建設技術者を組織化し、復興事業に従事させる団体の必要性が高まった。
1946年(昭和21年)3月2日、大日本技術会の主催により、戦災・失業技術者の救済対策および戦災復興事業への技術者活用を目的とした懇談会が開催された。同年3月7日には第2回懇談会が開かれ、救済機関を大日本技術会の傘下に設ける方向で検討が進められた[4]。
同年4月には、大日本技術会の下部団体として設立することが決定され、設立趣意書、定款案、役員案などが準備された。同年5月14日には、発起人会、創立総会、評議員会、理事会が日本工業倶楽部で開催され、役員の選任や本部事務所の開設などが決定された。
同年6月1日、内閣総理大臣より設立許可を受け、社団法人復興建設技術協会が正式に発足した[5]。
目的と事業
協会の目的は、戦災復興を中心とする建設事業に対し、専門技術を提供するとともに、建設技術者の職能を活用することであった。
主な事業内容は以下の通りである。
- 戦災復興に関する調査、測量、設計
- 都市計画および土地区画整理に関する技術協力
- 道路、橋梁、河川、上下水道等の公共土木事業に関する業務
- 建設技術者の職業的活用および救済
- 建設技術に関する調査研究
- 行政機関、地方公共団体、民間企業からの委託業務
当初は公益的性格の強い団体であったが、戦後復興事業の拡大に伴い、測量・設計・調査などの収益事業も増加していった。
組織
沿革
1946年
- 3月2日 - 大日本技術会の主催により、戦災・失業技術者救済に関する懇談会を開催。
- 3月7日 - 第2回懇談会を開催。
- 4月 - 社団法人復興建設技術協会の設立準備を開始。
- 5月14日 - 発起人会、創立総会、評議員会、理事会を開催。
- 5月15日 - 本部事務所を東京都中央区京橋に開設。
- 5月18日 - 第1回常務理事会を開催。
- 6月1日 - 内閣総理大臣より設立許可を受け、社団法人復興建設技術協会として発足。
- 7月 - 佐野利器が会長に就任。
- 8月 - 大阪支部を設置。
- 10月 - 九州支部事務所を福岡市に開設。
- 12月 - 中国支部事務所を広島市に開設。
1947年以降
- 1947年 - 本部に相談室を設置し、建設技術に関する相談業務を開始。
- 1947年 - 第2回定時総会、評議員会および理事会を開催。
- 1947年 - 会報『建設と技術』を発行。
- 1948年以降 - 本部事務所を移転し、支部体制の整備を進める。
- 1950年以降 - 地下鉄技術研究会を設置し、鉄道、道路、河川、都市計画などに関する調査・設計業務を継続。
- 1950年代後半 - 公益活動と収益事業の分離が検討され、支部事業の株式会社化が進められた。
事業の分離と株式会社化
協会は、当初は公益的団体として発足したが、測量・設計・調査などの収益事業が増加するにつれて、公益事業と収益事業の区分が問題となった。社団法人として公益活動を行いながら、一方で競争入札や測量・設計業務などの収益事業を行うことに対し、制度上・運営上の課題が生じていた。
このため、1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、収益事業部門を分離し、株式会社へ移行する方針が検討された。その結果、各支部に対応する形で会社が設立され、協会の受託業務の一部は新会社へ移されていった[8]。
この動きは、戦後復興期における技術者団体から、民間建設コンサルタント企業への発展過程を示すものといえる。
建設コンサルタント業との関係
復興建設技術協会は、戦後日本における建設コンサルタント業の形成に関係した団体の一つと考えられる。協会は、公共機関や地方自治体から測量・設計・調査業務を受託し、道路、橋梁、河川、都市計画、上下水道など多様な社会資本整備に関与した。
戦後間もない時期には、現在のような建設コンサルタント業の制度や市場が十分に整っていなかったため、協会のような技術者団体が、公共事業に必要な専門技術を提供する役割を果たした。その後、事業の一部が株式会社化されることで、民間建設コンサルタント会社の発展にもつながった。
主な関連事業
資料中には、協会またはその関係組織が関与した事業として、以下のような内容が見られる。
- 戦災都市の測量・設計
- 大阪市内の復興関連測量
- 鉄道・道路関係の調査
- 橋梁設計
- 水道漏水防止調査
- 交通量調査
- 都市計画関連調査
- 地下鉄技術研究
- 東京高速道路関連工事の設計・監理
評価
復興建設技術協会は、戦後日本の混乱期において、建設技術者の組織化と社会復帰、ならびに復興事業の推進に一定の役割を果たした。特に、失業技術者や引揚技術者を復興事業に結び付けた点は、社会政策的な意味も有していた。
また、測量、設計、調査などの専門業務を組織的に受託したことは、のちの建設コンサルタント業の発展につながる動きとして位置付けられる。一方で、公益法人としての性格と収益事業の拡大との間には課題もあり、最終的には事業分離や株式会社化が進められた。