徳島刑務所暴動事件
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虐待
徳島刑務所の医務課長(2007年当時)は、徳島刑務所に服役している囚人に対して虐待を行なっていた。主な虐待は囚人の肛門に対する虐待で[1]、服役囚が身体の診察を願い出ると、なぜか身体ではなくズボンとパンツを脱ぐように言われて肛門に指を入れられた。虐待の対象とされたのは1度でも懲罰を受けると仮釈放の資格が極めて薄くなる無期懲役囚や、懲罰房に行きたくない病弱な老人だった。また診察内容に文句を言えば、たちまち特別警備隊が来て、抗弁(口答え)したとして懲罰房に連れていかれたという。
なお、肛門虐待以外にも様々な虐待があったとされる。
- 暴行
- 肛門に指を入れながら、服役囚の足をつねる、蹴る。
- 投薬中止
- 聴診器を耳にはめずに診療。それを医師に告げたため、投薬中止。
- 絶食
- 「身体がだるい」と訴えた患者に対し、3日間の絶食を通告。
- 適当な診察
- 患部も見ないで投薬。
- 医療放置
- 病気で苦しんでいるにもかかわらずに診療せず、投薬も遅れる。患者は午後に死亡。約6名ほど同例で亡くなったとされる。[要出典]
- 挑発
- 「~でちゅ」「~でちゅよ~」と赤ちゃん言葉を使う。
マフラー部隊の虐待
暴動の起こる直前である10月、他の刑務所から徳島刑務所への応援として10人ほどの刑務官がやって来る。徳島刑務所の刑務官と区別するためか、刑務官全員がマフラーをしていたため、服役囚からはマフラー部隊と呼ばれる。このマフラー部隊は、囚人にわずかな失敗があればたちまち懲罰房に送り込んだりした。前述の医師の虐待に加えて、この部隊の虐待も服役囚の不満を蓄積させた。
- 暴言
- 「(受刑者に対して)お前らは社会の屑だ」「俺たちに逆らうってことは国家に逆らうってことだ」など。
- 虐待
- 受刑者にわずかな落ち度=懲罰房送りあるいは袋叩きの暴力行為。
暴動への兆候
医師の虐待はかなり前から存在していたようであり、2005年(平成17年)10月23日早朝には強盗致傷で10年の懲役を受け服役していた受刑者が自殺している。 2007年(平成19年)10月、前年に殺人未遂で服役していた受刑者が80人からなる受刑者の告発文書を取りまとめた。それによると医務課長が就任した2004年(平成16年)4月から2007年(平成19年)7月までの暴行を、実名で告発。受刑者21名が肛門虐待を受けたとしていた。 この情報を掴んだ週刊現代は、医務課長本人に直撃するために現地入りした。同年10月26日夜、医務課長に取材を試みるが、「施設(刑務所)の方に聞いてください」と繰り返し、2日後の28日にも取材を試みたが「死ね!」と暴言を吐かれた。
週刊現代の記者がかなり詳しく情報を掴んでいたことに刑務所側はあせり、内部調査を開始する。ただしそれは医務課長に対する虐待事実の調査ではなく、告発文書を取りまとめた受刑者の調査であった。そして11月15日にその受刑者を断定した刑務所は独居房に隔離し、16日に極秘裏に大阪刑務所(大阪府堺市堺区)に移送しようとした。ところが、極秘裏に行うはずだった移送が受刑者側に漏れ、激怒する。