徳川治察
日本の侍 (1753-1774)
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生涯
田安家初代当主・徳川宗武の五男として[1]、宝暦3年(1753年)10月6日に田安邸で生まれる[2]。母は近衛家久の娘・森姫(宝蓮院)[2]。幼名は寿麻呂[2]、寿丸[要出典]。はじめ松平氏を称する[2]。
宝暦4年(1754年)1月29日、(宗武の)世子となり、徳川氏を称する[3]。明和元年(1764年)11月15日、元服し、将軍徳川家治の偏諱を受け治察と名乗る[3]。同2年(1765年)12月15日、従三位大蔵卿兼左近衛権中将となる[3]。明和7年(1770年)吹上庭にて馬術を上覧し、褒美として「広瀬」という馬を拝領した。
明和8年(1771年)6月4日、父・宗武が死去[3]。同年7月3日、家督を継ぐ[3]。
安永3年(1774年)9月8日、田安邸において死去[3]。22歳[3]。法名は高尚院[3]。同月29日、東叡山寛永寺・凌雲院に葬られた[3]。
人物
治察死後の田安家
登場作品
- べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜(2025年、NHK大河ドラマ、演:入江甚儀)