重要文化財。総高120.5cm。、口径75.1cm。鋳銅製。鐘身は胴張りがあり、四方に袈裟襷を設けて四区に分ける[1]。竜頭は笠形をかみ、頭髪が上に伸び、双頭の接するところに宝珠を設ける[1]。笠形は甲盛り高く上に二条の圏線を置く[1]。上・下帯は連続唐草文を鋳出し、乳の間は四区[1]。乳は半球形の頭部とラッパ型の頚部からなる茸状乳の形式とする。口縁には駒爪を作り出し、鐘身高に対する撞座高の比が25.1%と平安時代後期鐘よりも鎌倉時代鐘に近い数値を示すなど、鎌倉時代鐘の先例となる過渡期の特色が顕著に認められる[1]。竜頭の方向と一致するように2つの撞座を配置する和鐘の典型的な形式は、紀年銘鐘のうちでは本鐘が最古である[1]。内側に「智炬如来破地獄真言」と「宝楼閣随心陀羅尼」の四行の梵字と五輪塔一基が陽鋳されている。
池の間一区に陽鋳されている銘文によれば、大治4年(1129年)4月7日、多治比頼友によって鋳造され、36年を経て破損したので、長寛2年(1164年)7月2日尊智上人が改鋳したとある[3]。
もと大和国添上郡にある真言宗御室派成身院の所蔵であったが、天保年間の本堂造営の時に大坂の商人から買い入れられた。