本貫は安東。金五文とその正室河東鄭氏との間に誕生。世宗9年(1427年)、王世子珦(文宗)と婚姻し、世子嬪として入宮。世子より金氏が年上であったとされる[1]。しかし、王世子が金氏に関心を示すことはなかった[2]。
嫉妬深い金氏はホキョという侍女から、「世子と同衾した女の靴を燃やし、靴の灰を世子の飲み物に溶かせば、寵愛を受けられる。」と提案され、金氏は様々な方法で呪詛を行った。やがて、その事実は義父母の世宗と昭憲王后の耳に入り、呪詛した事を金氏は自白する。金氏は身柄を引き渡され、義禁府で呪詛についての尋問を受けた。
1429年7月20日、世宗によって、金氏は世子嬪を廃位と同時に庶人に降格、宮廷から追放された[3]。金氏は一家共々没落。侍女であったホキョは義禁府によって、呪詛の罪で斬首刑に処された[4]。