志摩清英
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第19戦隊司令官などを経て、太平洋戦争開戦後の1942年(昭和17年)10月に第16戦隊司令官。その後横須賀鎮守府海軍通信学校長を経て、1944年(昭和19年)2月に第5艦隊司令長官に就任。いわゆる世に知られるレイテ沖海戦における「志摩提督」として名高い。もともとは通信術の専門家であり、その能力は大戦末期の誇張された海軍の戦果発表の看破や正確な敵情分析に発揮された。
台湾沖航空戦後、「敗走中」とされる第38任務部隊の追撃を請け負うが、米提督のハルゼーは損傷艦を故意に目立つ位置に配置し、志摩艦隊を誘引する。しかし、彼は正確な敵情分析から大本営発表が誤報だと看破し、進撃を中止、艦隊は難を免れた。捷一号作戦では、第二遊撃部隊を率い西村艦隊と共同してスリガオ海峡経由でのレイテ突入の任務を請け負うが、スリガオ海峡海戦にて先行する西村艦隊の全滅を見て突入を断念、敵影と思しきものに魚雷を斉射して反転、駆逐艦一隻の損害のみで見事、撤退する。 日本海軍は既に戦力を失っていたため、もはや米軍に対抗することはできなかった。 米側は志摩の後退に対し、「将兵の命を守るためには仕方がなかった」と評価している。