志賀能郷 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代生誕 不詳死没 不詳別名 豊前八郎、信寂 凡例志賀 能郷時代 鎌倉時代生誕 不詳死没 不詳別名 豊前八郎、信寂幕府 鎌倉幕府氏族 大友氏→志賀氏父母 父:大友能直、母:深妙兄弟 親秀、詫摩能秀、時直、元吉有直、親直、禅能、朝直、一萬田時景、鷲尾秀直、志賀能郷、豊前能基、田原泰広テンプレートを表示 志賀 能郷(しが よしさと)は、鎌倉時代の武士。志賀氏の始祖。通称は豊前八郎。法名は信寂。 大友能直の八男として生まれる。母親は能直の妻・深妙(畠山重能の娘)[1]。 貞応2年(1223年)11月27日に、父親が53歳で死去し、豊後国勝津留などの所領・所職(地頭職)を譲られる[1]。 延応2年(1240年)に、母から豊後国大野荘志賀村の南方地頭職を譲られ、志賀氏を始める[1]。 系譜 志賀能郷以降、志賀氏と大友氏は、文永11年(1274年)の元寇を機に、豊後国に戻り、ともに九州での勢力を拡大した[1][2]。大友氏はその後、豊後・筑後国など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有する[2]。 出典 1 2 3 4 上田 正昭『日本人名大辞典』講談社、2001年、志賀能郷頁。ISBN 4-06-210800-3。OCLC 834665660。https://www.worldcat.org/oclc/834665660。 1 2 『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、2001年、大友氏頁。ISBN 4-09-526001-7。OCLC 14970117。https://www.worldcat.org/oclc/14970117。 Related Articles