清和朝の貞観6年(864年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙され、翌貞観7年(865年)中務大輔に任ぜられる。同年2月には、天変地異を止めるため山階山陵(天智天皇陵)に遣わされている[1]。従四位上・民部大輔に叙任された後、貞観年間中期に山城守に任ぜられ地方官に転じる。
貞観18年(876年)末に陽成天皇の即位を告げるために伊勢大神宮に派遣される[2]。翌元慶元年(877年)左京大夫に任ぜられて京官に復し、同年7月には改元の伝達のための松尾神社への使者を務めている[3]。
元慶4年(880年)2月6日卒去。最終官位は従四位上行左京大夫。