忠貞王
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文徳朝末の天安2年(858年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。
貞観3年(861年)大学頭、貞観5年(863年)中務大輔と清和朝初頭は京官を歴任する。貞観6年(864年)摂津守に任ぜられて地方官に遷り、任期中の貞観9年(867年)従四位上に叙せられる。貞観12年(870年)弾正大弼として一時京官に復すが、貞観13年(871年)大和守、貞観14年(872年)播磨守、貞観19年(877年)正四位下・河内守と清和朝後半から陽成朝初頭にかけて再び地方官を歴任した。
元慶3年(879年)参議に任ぜられ公卿に列し、議政官として宮内卿・刑部卿などを兼ねた。元慶8年(884年)8月27日卒去。享年65。最終官位は参議刑部卿正四位下兼行近江守。