念阿弥慈恩
From Wikipedia, the free encyclopedia
奥州相馬(福島県南相馬市)の生まれで、相馬左衛門尉忠重の子。弟に赤松三首座がいる。父忠重は新田義貞に仕えて戦功があったといわれるが、義元が5歳の時に殺され、乳母に匿われた義元は武蔵国の今宿に隠棲した。
7歳のときに相模国藤沢の清浄光寺の一遍上人に弟子入りし、念阿弥と名付けられる。念阿弥は父の敵討ちをめざして剣の修行を積み、10歳で上京、鞍馬山での修行中、異怪の人に出会って妙術を授かったという。16歳のとき、鎌倉で寿福寺の神僧、栄祐から秘伝を授かった。さらに1368年(南朝:正平23年、北朝:応安元年)5月、筑紫・安楽寺での修行において剣の奥義を感得した。このとき18歳。京の鞍馬山で修行したことから、「奥山念流」あるいは「判官流」といい、また、鎌倉で秘伝を授かったことから「鎌倉念流」ともいう。
念阿弥は還俗して相馬四郎義元と名乗り、奥州に帰郷して首尾良く父の仇敵を討つと再び禅門に入り、名を慈恩と改めた。こののち諸国を巡って剣法を教え、晩年の1408年(応永15年)、信州波合村(後の浪合村、現阿智村浪合)に長福寺を建立、念大和尚と称した。没年は不明である。長福寺のあった麻利支天山(現念流山)の中腹には、江戸時代に樋口定雄(馬庭念流16世、十郎右衛門)が建てた念大和尚の石碑が残る。