恵下古墳

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所在地 群馬県伊勢崎市上植木本町
位置 北緯36度20分25.05秒 東経139度12分50.10秒 / 北緯36.3402917度 東経139.2139167度 / 36.3402917; 139.2139167座標: 北緯36度20分25.05秒 東経139度12分50.10秒 / 北緯36.3402917度 東経139.2139167度 / 36.3402917; 139.2139167
形状 円墳
規模 直径27m
高さ4.5m
恵下古墳
所在地 群馬県伊勢崎市上植木本町
位置 北緯36度20分25.05秒 東経139度12分50.10秒 / 北緯36.3402917度 東経139.2139167度 / 36.3402917; 139.2139167座標: 北緯36度20分25.05秒 東経139度12分50.10秒 / 北緯36.3402917度 東経139.2139167度 / 36.3402917; 139.2139167
形状 円墳
規模 直径27m
高さ4.5m
埋葬施設 竪穴系施設
出土品 銅鏡・玉類・武器・農具・馬具・須恵器土師器埴輪
築造時期 6世紀前半-中葉
史跡 なし
特記事項 墳丘は非現存
地図
恵下古墳の位置(群馬県内)
恵下古墳
恵下古墳
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恵下古墳(えげこふん)は、群馬県伊勢崎市上植木本町にあった古墳。形状は円墳。現在では墳丘は失われている。

群馬県東部、粕川東岸台地の東縁に築造された古墳である[1]1928年昭和3年)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径27メートル・高さ4.5メートルを測った[1]。墳丘は2段築成とみられる[1]。墳丘外表では、円筒埴輪10数個体・形象埴輪(人物埴輪片・鞆形埴輪)が出土している[1]。埋葬施設は墳丘中位における竪穴系施設である。舟形石棺の身部の縁に切石を積み上げた状態に似る特異な施設で、施設内からは銅鏡・玉類・武器・農具・馬具などが、施設外からは須恵器土師器が出土している。

築造時期は、古墳時代後期の6世紀前半-中葉[2](または6世紀前半[1])頃と推定される。埋葬施設の過渡的な様相[2]とともに豊富な副葬品の点で注目され、一帯における主要古墳と位置づけられる[1]

遺跡歴

  • 1928年昭和3年)、発掘調査(相川龍雄、1928年に報告)[1]

埋葬施設

埋葬施設としては、墳丘中位において竪穴系施設が構築されている。墳頂から1.5メートル下において確認された、東西方向を主軸とする凝灰岩製の特異な石棺状施設で、周囲に川原石を20センチメートル積み上げて被覆し、さらに厚さ20-30センチメートルの粘土を貼る[1]

石棺状施設は舟形石棺の身部の縁に切石を積み上げた状態に似る形態で、底面を刳りくぼめた2石を底石として、切石約40個を2-3段積みにして壁体を構成し、蓋石として切石4枚を架ける。施設内法は長さ1.98メートル・幅0.54メートルで、底石のくぼみ深さは0.18メートル、全体深さは0.54メートルを測り、全体高さは0.90メートル近くを測る。内面は赤彩されており、蓋石裏には刷毛状塗彩痕が認められる[2][1]

施設内からは東側で人骨(下顎骨・歯)が、中央から東で鏡・玉類、西側で馬具・農具が、北側で壁面と平行に鉄刀が出土している。また施設外の頂部から0.6-0.9メートル離れた位置からは土器群が出土している[1]

出土品

須恵器 𤭯
東京国立博物館展示。
鞆形埴輪
東京国立博物館展示。

主な出土品は次の通り[1]

  • 画文帯神獣鏡 1
  • 玉類
    • 勾玉 28
    • 管玉 41
    • 丸玉 529
    • 小玉 1380
  • 釧 1
  • 武器・農具
    • 鉄刀
    • 鉄鏃 40
    • 鉄鍬 1
    • 鎌 1
  • 馬具
    • 轡 1
    • 剣菱形杏葉 3
  • 須恵器 - 坏2、坏蓋1、高坏1、坩1、𤭯4(うち1は俵形)、瓶1、提瓶1。
  • 土師器 - 坏1、高坏2、坩片1。
  • 埴輪 - 円筒埴輪、人物埴輪、鞆形埴輪。

関連施設

脚注

参考文献

関連文献

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